フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

田舎ってなんだろう?

最近、田舎ってなんだろう?と思うことが多々ある。

 

私の在住する北海道北見市

私は、ここを田舎だとは思わない。

 

昔は親にも周りの人にも、

「田舎、田舎。」と言われて育ってきた。

 

確かにその時は、

某有名チェーン店も全然ないし、

遊びに行く、洋服を買い物するとしても、

行く場所がかなり限定されていたので、

どこにいっても同級生に会う、

下手したら買った服や靴がかぶる、

なんてこともあった。

 

自分が大人になり、

車をもってあちこちの町をまわってみると、

 

大体北海道の10万人以上の町は、

チェーン店の立ち並ぶ中心部の街並み風景において、

さして変わらないように思う。

 

大人になり、

自分が自由に飛行機にのれるようになって、

はっきりこれまでの概念が変わった。

 

空港が付近にある町って、

めちゃくちゃ便利じゃないか?

 

アクセスさせ良ければ、

そんなに不便じゃないんじゃないか?

 

ちなみに、北見市には付近に女満別空港がある。

東京まで1本でいける。

時間とお金さえ自由にあって、

自在に移動ができれば、

どれだけ暮らし方が広がるのだろうと思う。

 

 

ここで、

今回は田舎の定義を

 

田舎=不便、選択肢がない

 

 

と定義してみようと思う。

 

今は買い物の類はインターネットを使えば

どこにいても買いたいもの、

必要なものは買える。

よって選択肢がないという問題も

一応解消される。

 

しかし、これは経済状況によっても異なるし、

そもそも、

インターネットの使用方法がわからないとか、

目で見ていない商品はこわくて買えない

という人も、きっとかなりの数がいる。

 

地方や離島は、送料は通常よりも高いし、

送品到着に至るまでも時間がかかる。

 

インターネットで購入することを考えても、

もともと事前情報として、

「商品の名前」や「商品の存在」

を知らないと、

そもそも購入までたどり着けない

可能性もある。

 

経済状況や世代によるギャップ、

得手不得手など

いくつもの前提条件をくぐりぬけないと、

「不便」の中でも得られる

「便利」とならないかもしれない。

 

おそらく人それぞれ、

「便利」と「不便」の定義が

異なるのだと思う。

 

 

だがしかし、ここで言いたいことは、

「不便だが、選択肢がある」

ということである。

 

 

一昔前までは田舎は、

「不便だし、選択肢がない」だったからだ。

 

 

 

一般的に「田舎」と言われる街で暮らしていて一番感じることは、

 

「情報の遅さ」と、

「医療の限定」がある。

 

 

情報の遅さで言うと、

一時のブームでも、

専門職の新しい主義や手法でも、

大体関東圏で起こったものが、

北海道まで浸透するまでに

ややしばらくかかる。

 

これがまた北海道在住だからこそ?

のおもしろさがあり、

都会で試したデータをもとに、

取捨択一できる、失敗しにくい面白さがある。

 

医療では、やはり専門医・専門科が

不足しがちであることは否定できないと思う。

 

テレビで見る最新治療法なども、

希望したくても、

その手技の施せる医師がいなければ

どうすることもできない。

 

そこはやはり、

選択できない不便さはあると思う。

 

 

とりとめのない話になってしまったけれど、

 

地方に住むものが、

自らの町に「田舎」のレッテルを貼って、

 

自分自身にも、

「ここは田舎だから何もできない」

と盲目的によく聞く理由を並べ、

 

自分自身が、はっきりと「田舎」と思う前に、

そこに住む人々が口をそろえて言うから、

疑う余地なく「田舎」と信じ込んでしまった

としたら、

 

それは非常にもったいないと思う。

 

マイナスに「田舎」と言い続ける暮らしは、

どこか言い訳じみた暮らしに

ならないだろうか。

 

これは、

日本国土の一部の主要都市で生まれ育った

人たちを除いて、

ほかの全員に言えることだと思う。

 

自分だけの「田舎」の定義をもとう。

おもしろい発見があるかもしれない。