フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

そもそもなぜカフェなのだろうか。その壱

【第51回】

2018年8月11日から、
箱カフェまんまる茶茶の店主になった私。


つい最近、オープンから5カ月を迎え、もう少しで半年を迎えようとしている。


ここまでの手応えとしては、


想定通りな部分と、
想定を越えている部分がある。



想定以下は…正直ない。



そもそもなぜ、言語聴覚士がカフェを。


語ると本当に止まらなくなるので今日のところは割愛するが、


自分にとっては、ごく自然な流れで、


思い付きでも行き当たりばったりでもない。


以前から企画、計画されていたことのひとつだった。



私は、「言語聴覚士」の顔をして、
言語聴覚士」として、カフェに立っている。


それも、自分の中では、とても自然なことだけれど、


自分以外の人は、
なかなかそこがピンとこないらしい。


それは、当然だと思う。




そもそも、なぜカフェだったのだろうか。




カフェ経営を始めるにあたり、
いくつものカフェ本を読み漁ったものの中から

お気に入りのものを最近読み直してみて、

自分のカフェに関する原点をだんだんと思い出してきた。



私とカフェ。




箱カフェまんまる茶茶は、
サードプレイスカフェを目指しているけれど、


考えてみると、私は小学生高学年から、

お気に入りのカフェがあり、

そこに足しげく通い、

自分の中のサードプレイスにしていた。



カフェというか、喫茶スペースというべきか、私が通った2つの場所は


女性店主が一人で切り盛りしていて、


穏やかな時間が流れていた。



私はそこに、尊敬と憧れと、
確かなやすらぎがあった。


学校の友達や、家族が知らない場所。
特別なちょっと大人びた時間の過ごし方。


非日常的で
刺激的で
特別感を味わう


おこづかいの範囲で
子供が通えたセミオープンなその場所は、


夢を見る場所にはぴったりだった。


学校は楽しかったし、
友達との時間や部活も本当に楽しかった。


でも、

誰とも同調せず
自分が選択し、「自分を尊重する」
その時間があったことは


私にとって確かに
サードプレイスとしての役割となっていたのだと思う。


学生時代、
割りと学校が好きだった割には


もう一回、学校生活をすると考えると
抵抗感がある。



決められたカリキュラムに沿って、
決まった答えを求められる学校教育というものが

とても窮屈で、

当時は子供で比較対象がないから、

それが、「しんどいこと」なのか、どうかはわからなかったけれど、


今振り替えると、確かに「しんどい」ものだった。


幼少期の私にとっての
馴染みのカフェに訪れることは、


日常からちょっとトリップ(旅)する。


そんな感覚だったのかもしれない。




いま、カフェ接客にあたり
心がけていること。


「そっと」するか、
「そっと」しないか、


この二点だと思う。


お腹を満たしたい、
コーヒーが飲みたいだけ

そんな人は、パッと見ただけでわかるので、

「そっと」する、ほどよい距離感を保つ。



はじめましてのご来店でも
カウンター席に座る、

店内を珍しそうに見ているなど、


きっと、


箱カフェまんまる茶茶をどこかで知って、

時間をつくって訪れてくれたであろう方は、
「そっと」しない。


カフェの話や、
その方に合いそうな本を紹介するなど、
ちょっとお節介をする。




カフェという空間のなかで、


訪れる人の組み合わせや波長によって、
その日、その時限りの
一期一会が生まれる。


そこを「そっと」したり、
「そっと」しなかったり。


引き合わせたり、
しなかったり。


カフェという場は、いくつもの偶然のコミュニティが生まれる場所だと思う。


だから、おもしろい。




幼少期から
身近にあった心の拠り所だったカフェ。


街中にあったそのカフェや、
数々のお店に、

私は確かに地域に育ててもらっていたと思う。


大人になり、
同じ地域で出店している喜びに


最近になってやっと
実感が沸いてきて、


とても幸せに感じている。