フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

旅によって視点を変え、軸を整える

【第100回】

旅によって視点を変え、軸を整える

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いつもこのブログに訪問下さり、
ありがとうございます。



2017年11月23日に第1回ブログを投稿し、

医療教育系ブログ 
フリーランス言語聴覚士はしっ子のこだわらない話
がスタート



2年7カ月が経ち、この回で第100回となりました。


記念すべき第100回。



まずは続けられたことがとても嬉しいです。


といっても、今回もいつもと変りなく、淡々といきたいと思います(^^)





本日のブログテーマは、

旅によって視点を変え、軸を整える



私は、旅が好きです。


旅というより、自分の中では冒険です。


自分にとって未開の地に足を踏み込む。

あのワクワク感。



見たことのない景色などを見て新しい刺激が入ってきたとき、
脳はものすごく活性化するといいますが、


まるで本当にキラキラして見えるかのように、
脳が喜んでいることを感じます。



その度に、「あぁ~~生きてるなぁ~」と
今、自分の命と肉体がしっかりとあることを感じます。




以前、好きが高じて観光マスターの資格もとりました。



言語聴覚士 × 北海道観光マスター


恐らく全国各地にも、
この組み合わせはいないでしょう。


北海道の旅の話になると、
前のめりに話します(笑)



お仕事場面で高齢者の方とお話するときも、
ご当地話は重宝します。


お話ネタをストックしていると、
フリートークで困ることが少なくなってきます。




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これまで、プライベートやお仕事で、

東北、関東、関西、四国、九州、沖縄
海外ちらほら、小さな離島、



北海道は、ほぼ1周海岸沿いをドライブして周り、

一人旅からキャンプ、車中泊まで楽しんでいます。



旅をして新しい場所を訪れ、
新しい体験をする度に


全身の血が入れ替わるようなすっきりさと、
身体の隅々までエネルギーがいきわたる様な感覚になります。





ここで、皆さんにもオススメしたいのは、


旅によって視点を変えるということ。
そして、旅によって軸を整えるということ。 




私たちは、普段見慣れているもの、
なじみのあるものに触れたとき、脳はあまり反応しません。



いつもと変わらぬ光景を前にして
視覚から入った情報を脳が処理する時に

いつも通りの認識をするためです。




旅によって、視点を変えるということは、
新しい場所で新しい見方をするということ。


旅じゃなくても、初体験するものは何でも
脳はよく反応するのですが、


五感をフルに使って
脳に刺激を与えてひらめき脳を得るには、

やはりいつもと違う環境に飛び込むことが一番です。




そこで、手っ取り早いのが、旅すること。

近場でも遠方でも構いません。


そこに、自分の知らない世界があるなら、十分です。



日頃の情報をシャットアウトして
まっさらな頭でいると、行き詰っていたことも

何かしら気づきとなるヒントが湧いてきます。



頭がクリアになり、心身が癒されたところで
ヒントやアイディア、閃き、メッセージがわいてくる。



旅にはそんな力があります。




私がよく実践するのは、

自分の知らない地域に行き、
その町の文化や発展、歴史や産業を学び、

自分の足で歩き、五感でその町を感じること。



同じ日本国内であっても、
自分の知っている世界での暮らしとは異なる


どこかの誰かの暮らしを見る度に、
「色んな暮らし方があるのだ」と、腑に落ちる学びがあります。



その瞬間に、自分の知っていると思っていた世界が
バァーーーーーンと広がり、



悩んでいたこともどうでもよくなります。




色んな人がいて、色んな人が暮らしている。



そこをリアルに感じることで、
自分の狭い世界観がぐっと広がる感じがするのです。





そして、旅によって軸を整えるということ。





旅により、知らない世界を見て

普段と違う脳の使い方をすることで、

リセットされる。



リセットされて、空っぽになることで、

エネルギーが満たされていきます。


そこでまた明日からの力が湧いてくる。




心の軸が乱れていると、
様々な情報に惑わされてしまい、

色々な判断に迷ってしまいます。



どれだけ気を付けていても、
時々、心の軸は乱れてしまうもの。


だから、時々整える必要がある。


そのために、私は旅で様々なことをリセットし、
心を空っぽにして新しいエネルギーで満たし、

ぶれた心の軸を整えていきます。



人と関わる、人を見るお仕事をする上で

いつも心の状態を安定させておくことは大切なことです。



自分が満たされていて、初めて人と向き合うことができる。



ちなみに私には必ず叶えたい夢があります。


それは、47都道府県をお仕事でまわること。


プライベートではなく、
お仕事でその地を訪れることがポイントです。


プライベートではなく、
お仕事で自分の住まいとは違う土地に行くと、なんだかとっても楽しくてワクワクするんですよね。



ということで、
このブログを見てくれている方、


あなたの土地に呼んでくださいね(笑)




第100回はこのような内容にしました。


今後とも、よろしくお願いいたします(^^)

プロトタイプのない未来

【第99回】

プロトタイプのない未来

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いつもこのブログに訪問くださり、
ありがとうございます。



いつもこのブログを綴るにあたり、



タイトルやテーマになる言葉が
ポンっと頭に浮かんできます。



それをそのまま書いたり、
少し寝かせておいたりするのですが、




今回は、「プロトタイプ」という言葉がパッと浮かびました。



プロトタイプ


原型、基本型、手本、模範。


今回のブログテーマは、「プロトタイプのない未来」




原型、基本形、手本、模範のない未来、
ということになりますね。




今、この言葉に

「不安」を感じる人と、感じない人が分かれると思います。



私自身は、自分の子どもの将来を考えた時、

今のような社会の仕組みではなく、



義務教育が解体されていたり、
海外のスクールに通うことが普通であったり、

会社で働く仕組みも今とは様変わりしている

そんな世の中になっていたら、おもしろいなと感じています。



自分が歩んできたものと、「未来」が異なるならば
私はそこに期待し、わくわくします。




この捉え方は、人によっても様々ですよね。





プロトタイプのない未来。



ここでさらに取り上げたいのは
プロトタイプのない働き方。




私は言語聴覚士として、
4年前に個人的な働き方改革をしました。



簡単にいうと、


「ここでしか働けない」の考え方から、
「どこでも働ける」に変換しました。




どういうことかというと、



言語聴覚士やリハビリ関係、介護、医療関係の職業の人は、


通常、病院や介護施設等で働きますよね。



そこを通常の働き場所以外でも、
もっと多くの場所で働きたいと思ったことがきっかけでした。



そのために、
フリーランスの立場になることを決め、


所属しない形で、実際に
様々な場所でお仕事をさせていただいています。



なぜこのように思ったか、というのも

通常のその専門職が働く場所で働いていても、

新たな広がりがないと感じたから。




自分の職業を大切に考え、
その未来を真剣に考えたとき、



病気になった後の人のリハビリをする大切さ以外にも、



病気になる前に出会い、

専門のリハビリがあることを知ったり、
その予防をすることを伝えたり、


病気になる前に出会えて「安心」を感じられる


そんな風に働く言語聴覚士
必要なのではないかと思いました。



同じ職業の仲間が現場で頑張ってくれている分、
自分はこんな風に働こうと思い描けるものがありました。



そして、これから職業を選ぶ
中学生や高校生のことを考えたとき、


学校の先生や警察官、美容師に調理師・・・


数多ある職業の中から、その仕事を選ぶときに

そもそもその職業の存在を知らないと
「職業選択」の場にも並ばないことに気づきました。



そうなると、
自分が大切にしている好きな職業を目指す人が
今後どんどん少なくなってしまうかもしれない。


少子化で、人口減少が進む日本において、
これは致命的なことです。



知ってもらわなければ。


もっともっと外に出て、自分の仕事を知ってもらわなきゃ。
たくさんの人に出逢わなければ。


それが、フリーランス言語聴覚士という立場になり、



プロトタイプのない未来


プロトタイプのない働き方を選んだ理由です。




みなさんはいかがでしょうか。

このブログを読んでくださる皆さんであれば、
感じるところがあるのではないでしょうか。




リハビリ業界では、

理学療法士は今後
供給過多状態になるといわれています。


要するに、
就職先よりも働きたい人が
余ってしまうということ。


言語聴覚士は、需要過多で
職業としては今後も安定しているといいます。



そうなると、
自分のお仕事、暮らしの安定のため、

むやみに自分と同じ職業を
目指す人を増やしたくない、


そんな考え方もあるでしょう。



でも、それだと何も広がらない。

人がいる限り、病気はなくならない。



病気への向き合い方、アプローチの仕方を変えていけば、

仕事はいくらでも生まれてきます。



自分の職業の従来の働き方に
捉われる必要はない。


そう、強く感じています。





先日、これまでの取り組みの一部を専門誌に掲載して頂きました。


「地域保健」という
保健師さんの定期業界誌(2020年5月号)に寄稿したものです。





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(NPO食べる力・円の取り組みー言語聴覚士による地域共生の活動ー)




ご覧になられた方もいらっしゃいますか?


もし、手に取る機会がございましたら、
ぜひ読んでみてください(^^)




全国でも例は多くありませんが、

言語聴覚士の働く場所も、

行政や学校機関など
少しずつ広がってきています。


組織に所属するとしっかりと働けます。



しかし、組織に所属しないという方法で、
多岐に渡る場所、場面で貢献した方が、

自分の職業の専門性を最大に発揮できるかもしれません。




こんな働き方があったらいいな、

それが実現できる可能性は
実はそう低くはなく、


その一歩を
誰も踏み出していないだけなのです。



シンプルに言うと、一歩踏み出して
やるか、やらないか。


きっかけがあれば、
トントントンと進んでいくことも

意外と多いもの。




そのためには、たくさんの人と出逢い、

自分が目指す形、
姿を声に出して発信すること。



それは間違いなく、

プロトタイプのない未来に
つながっていきます。



プロトタイプのない、

なんて不安に感じる人も
多いかもしれません。



でも、
そこからしか生まれないものがある。


そして、それがやがて
スタンダードになる時がある。




「やりたい仕事がない」という人も、


ただ単純に、「今(現代)」に、

たまたま自分の「やりたい仕事」がないだけなんです。


未来には、その人のやりたい仕事も
あるかもしれない。



仕事や働き方は時代と共に、
とても流動的なもので

変化の絶えないものです。


ぜひ、受け身にならず、
いわゆるwithコロナの時代、


今あるものより、
今ないものにワクワクして、

思考や視点をちょっとだけ変えてみる。


そこから気づけるものがあります。


自分の中に湧いてきた
素朴な疑問を無視しないで、

素直にその声を聴いてみる。


すぐにその声に
答えることができなくても、

自分の中の素直な言葉を
忘れずにとっておく。


ぜひ、自分の未来に少しだけ
ワクワクしてみてください。


自分の未来を勝手に決めつける必要は
どこにもないのですから。

古きを知り、新しきを知る。

 
【第98回】

古きを知り、新しきを知る。


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いつもこのブログに訪問くださり、
ありがとうございます。



本日のテーマは、

「古きを知り、新しきを知る。」



これは、四字熟語 温故知新の意味です。


温故知新

この言葉、私好きなんです。

古いものから学び、新しいものの姿が見えてくるものがある。



日常物品の進化や、

今、世間を賑わすニュースや情勢もここから見えてくるものがあります。




この温故知新に関しては、
言語聴覚士の現場でも当てはまります。




言語聴覚士の嚥下訓練の現場では、


対象者の好きなもの、
食べたいものを訓練場面に使うことがあります。




私は講演の機会を頂くと、


「あなたの好きな食べ物はなんですか?」

「最期に食べたいものはなんですか?」



と、必ず聞きます。




これ、簡単なようで、
実は難しい、大切な質問です。




食べることを日々、楽しんでいる人にとっては
この質問はわりと簡単です。


いつも、自分の口に入れるものを
その時の気分や体調に合わせて意識しているから。



反対に、



日々の食事をあまり意識していない人だったり、

食べることをあまり楽しめていない人は、



この質問が少し難しいかもしれません。



たかが好きなもの、されど好きな食べ物。




「食」における好きなものには、
その人の心、自分の心を開く鍵があります。




バリバリに疲れた時、
心が枯れはてそうな時、



おいしいものが癒してくれた経験はありませんか?
好きな食べ物を食べて心が回復した経験はありませんか?



私たちは、五感でたくさんのことを感じています。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして味覚。



特に視覚、聴覚、嗅覚は
意識していなくても情報が入ってきて
無意識に感じますが、



味覚に関しては口にいれる意識がないと、
感じられません。



口の中に入ってくる、口に入れるということは、
そのものを「受け入れる」ということ。



そのためには、

その食べものに馴染みがあり、
興味関心があり、好みのものであり、



好感情を持っていないと、
口に入れる受け入れ態勢は整いません。




意外にも、自分の「好きなもの」がわからない人って結構います。


意外に思いますよね。


これ案外、若い人に多い傾向にあります。



そうなると、
「最期に食べたいもの」のイメージにまで、
なかなかたどり着かないんですよね。




そして、

私は講演の場面で、聴講者に若い方がいると
こんな質問もします。



「親の好きな食べものを言えますか?」




ギクッとしませんか?




自分の好きなものならすぐに言えるけど、
親の好きなものとなると、さてなんだろう・・・


と、なりますよね。




実際には、

必ずしも
最期に食べたいもの = 好きなたべものとは

限りません。





昔懐かしいふるさとの味かもしれないし、

一度は食べてみたかったものかもしれないし、

さっぱりとしたお水だけでいい、
ということもあります。




でも、最期に口にしたいものが

好きな食べ物であったり
なじみのある食べ物ということも現場では多くあります。



だから、


自分の好きな食べ物、食べたいものを自覚すること、

家族の好きな食べもの、食べていたものを意識しておくことは、



大切なことです。





いわば、


「自分の食の歴史」

「その方の食の歴史」





好きなものや、なじみのある食べ物、
思い入れのある食べ物は、



自分にとって、その方にとって、



固くなった心の鍵を開くものとなりえるのです。





例えば、
目の前の嚥下障害の対象者の方が、


ふと、「味噌汁が飲みてぇなぁ。」


と、ポツリと言ったとします。



この「味噌汁」といっても、
その家庭によって味も具材も異なるし、

暮らしてきた地域によっても、使うお味噌やだしも異なる。

味噌汁とは言っていても、郷土の三平汁やせんべい汁のことなのかもしれない。



喜ぶだろうと、一生懸命用意しても、



「これじゃねぇんだよなぁ・・・」と
言われてしまうかもしれません(笑)





また、嚥下訓練が行き詰ったとき、


看取りの場合に
楽しみ程度に口に含むものを考えた場合、



「そういえば、おばあちゃんいつもお茶を飲んでいたわ。」



こんな、家族からの情報から
お口に運んでからとてもスムーズに進むこともあります。



これが、流行りのタピオカドリンクでも、
若者に大人気のこってりハンバーガーでも、


きっと、その方の味覚から始まる心の開き
得られないでしょう。



それぐらい、
食の好みと習慣のある食べ物であったかは、
大事な奥深いものです。




これが「食の力」というもの。




食の力、食の歴史侮るなかれ、です。



栄養学的にはほとんど栄養のないものであったとしても、

そのたった一口で、命の灯が再び灯ることがあるのです。



口の力、食の力、
やはり大切にしたいものですね。

クォリティ・オブ・ライフ

【第97回】

 

クオリティ・オブ・ライフ

 

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今日は、悲しいお知らせがありました。

 

とてもお世話になった方の突然の訃報。

 

心は未だ、動揺し続けています。

 

 

これまで、たくさんの人の死を見届けてきましたが、

人の「死」は、決して慣れたくはないこと。

 

どんな一瞬の出逢いでも、

出逢うことが決まっているからこそ、

 

自分と出逢ってくれた人の死を受け入れることは、

それ相応の時間が必要です。

 

 

生前、その方を大切に思っていてこそ。

 

 

 

 

言語聴覚士として、

 

リハビリや看取りの現場で

 

 

QOL=生活の質、命の質は、臨床上よく問われることです。

 

 

患者様の長期目標を設定する時、

QOLの維持、向上」と表現することってありませんか?

 

 

 

私はこれ、少し暴力的だなって思います。

 

 

なぜなら、

周りから見てQOLの維持、向上はわかるものではないし、

 

QOLが維持されていますね、向上しましたね、なんて

 

本人以外の人が評価すること自体、無理がある。

 

全ては主体性をもって取り組まれるべきもの。

 

 

 

生活の質、命の質

 

 

こんな大きな計ることのことの出来ないものを、

本人不在で判断できるものではないはず。

 

周りの人がそれを設定するのは

とても勝手なことだと思うのです。

 

 

全てはその方の心が決めること。

 

 

 

そして、医療人として、介護人として

 

人の人生に関わるものとして、

 

 


自分を大事にできない人が、

他人を大事にできるわけがない。

 

 

家族を大事にできないなら、

他人を大事にすることもできない。

 

 

 

と、思っています。

 

 

 

「幸せの範囲」は小さい範囲から、と言います。

 

まずは、自分や家族を精一杯幸せにする。

日々の頑張りに、働きに、ただ居てくれることに感謝する。

 

そうして輪が広がると、

外で出会う人へも自然に敬意をもって接することができる、といいます。

 

 

 

これは、その通りだと思います。

 

 

外ではいい顔をして、家では身勝手し放題。

 

そんな人もいますが、その矛盾はどこかで必ず

外の人にも気づかれます。

 

そして、見抜く人には決して信用されないんですよね。

 

 

まずは、自分を、家族を

近い範囲で、近い人から幸せに、愛を注ぐ。

 

 

そこから、生活の質、生命の質は高まっていくのではないでしょうか。

 

 

人の「死」は、いつも大切なものを気づかせてくれます。

 

 

「死」を見届けられたことに感謝して、

 

これからも、出逢ってくれた人には、

たくさんのありがとうを伝えていきたいです。

 

 

 

 

 

言語聴覚士と料理の関係

【第96回】

言語聴覚士と料理の関係

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子どもの頃、ばあちゃんの料理の音が好きでした。



木の厚いまな板に

今とは違って重めの包丁



ゆっくりトントントントンと
切る音が聞こえる



赤味噌の味噌汁に

甘いカレー


納豆はまな板で細かく切り
ひきわり納豆にしてくれた。




そんなばあちゃんの
料理初めの言葉は


「あぁ、めんどくさい」


弱くなった足腰に
めんどくさそうに立ち上がり


トントントントンと始まる。




料理は好きじゃなかったような
ばあちゃんですが


すごく自然体で

その食べるまでの一連の過程が


幼心に好きだったことを
思い出します。






そう、料理って
めんどくさいもの。





手間をかけ、
丁寧に工程を重ねるほど



おいしくなるのはわかっているけれど



出来れば


チャチャッ、パッ、

ジュージュー、サササッ


で完成、

それで終わりにしたいも本音。





だけど、


やっぱり手作りはおいしい。


炊きたてのご飯のツヤツヤのおいしさは、


何度食べても飽きのこない
食卓の永久不滅の天下一品。



ただ焼いただけでも、


冷蔵庫の余り物をいれた
味噌汁でも、



手作りご飯は

しっかり腹を満たし、

体の隅々まで行き渡る感じがする。



そして、


やっぱり手作りごはんを食べたあとは


調子がいい。



体も心も気分がいい。




手作りごはんで

自分の体を癒してやるって、


そんな力がある。



自分の体を自分で整える。


日常でできる簡単なメンテナンス。




心がざわつくとき、

日常に追われているとき、



自然と料理から離れていて
ハッとすることがある。




そして、また


面倒でも、嫌々でも


キッチンに立ち、


なんとなくいつもの工程を始めると



だんだんと心も体もノッてくる。




そしてまた、

自分にあったリズムが整ってくる。




料理って不思議。


人の細胞を輝かせる力がある。





私はいつもこんなことを日々考えながら、


めんどくさいとおいしいを行ったり来たりしながら、


自分と家族の「食」を意識しています。







成人領域でも小児領域でも、


言語聴覚士のお仕事は、「食」に大きく関わります。





「食」は「いのち」。




「食べる」という行為は、「いのち」を育む行為。





私たちは、明日からの生を真正面から受け止めるために
生涯、食と向き合っていく。



そのためにも、
自分が何を食べたいかがわかり、

自分が今、何が不足しているかをわかることが必要です。




そして、

けして料理上手でなくてもいいので、



自分が今、元気になりそうな食べ物、
身体に取り入れたい食べ物を用意できる力、



自分を満たし、喜ばせられる食事を
用意できるか、はとても大切なことです。





自分の「食」に向き合えるからこそ、

人の「食」にも向き合うことができる。





自分の一食、一食に心の注意を向けられる人は、

人の一食、一食にも細心の注意を向けられる。






それが、看取りの現場だったら、

最期の一口を大切にできる人なのでは、と思うのです。






そして、自分で調理していると、


嚥下食の工夫やバリエーションなども浮かんできます。


ご家族へ伝える言葉も、リアリティーのある助言につながってきます。




刻み方、あんかけの程度、
卵でとじたり、やわらかさの具合いを普段の料理で感じたり、



最近の調理家電の実践や
調理関係の新商品もどんどん試してみるなど、



どこに嚥下訓練の場にいかせられる「材料」が転がっているか、
わからないものです。



臨床の場での改善点は、
思わぬ暮らしの場に転がっていることもあります。







料理が出来なくたっていい。




「食」を適当にしないで、
自分で食事を用意してみる。





自分の「食」と向き合うことで、
人の「食」にも向き合うことができる。





私は、言語聴覚士と料理は
とても大切な

切っても切れない関係だと思っています。

【特別コラム】フリーランス言語聴覚士になるまで~自分史を振り返る

【第95回】

特別コラム

フリーランス言語聴覚士になるまで~自分史を振り返る~」

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さて、どこから振り返ろうか。


頭の中に数々の場面が回想される。


そうだ、ここからにしよう。


私がフリーランス言語聴覚士になって
4年近くがたつ。

思えばいろんな事柄を手掛けてきた。


それは、事業と呼べるほど
しっかりとかっちりとしたものではなく、

「こんなのあったらいいな」が

ひたすら形になるように動いてきたもの。

成功か失敗か、そんな二択ではない、

大きな発見と数々の出会いと
素直に動くことの喜びを感じさせるものだった。


こんな形で働けるようになれたこと。


これは、ビジネスモデルでも
成功ノウハウでもなんでもない。


一人の女性として
一人の言語聴覚士として


働くことを見つめ直し、
暮らしを見つめ直し、
生き方を見つめ直した

精一杯、自分のうちなる声を聞き続けた結果、今に至るというお話です。



〈草創期〉

北海道の片田舎で3女として産まれる。

365日外で遊びたい、ままごとなんて大嫌い、冒険や新しい遊びをしたい

そんなエネルギーをもて余している子どもでした。

じいちゃん子で、
よく一人で遊びに行って

何をするでもなく、古い家にじいちゃんと過ごす時間が好きだった。

高校生になり、進路選択で
将来は人の役に立つ仕事がしたい、と漠然と決まっていて、

ふと目にした職業紹介ページで「言語聴覚士」が紹介されていて

その「珍しい」「他の人がやっていなさそうな」「言葉のスペシャリストのかっこよさ」に釘付けになり、

まだ一度も出会ったこともない言語聴覚士という道を歩むことを決める。


当時、
徐々に脳血管性認知症の症状が出ていて独居が難しくなったじいちゃん。


少しの間だけ一緒に暮らした時期のこと。

高齢者と暮らすということは、
当時、女子高生花盛りの私には辛かった。

あれだけ好きだったじいちゃんなのに、優しくできず話しかけることも、視界にはいることさえも躊躇していた気がする。


「まだまだ子どもだ」


じいちゃんが私にいった言葉が忘れられない。


そんなじいちゃんが次第に嚥下障害になってきた。
 

高校生の時から、「口から食べられなくなること」を考えるようになった。


言語聴覚士を目指しているのに、
嚥下障害の治療が言語聴覚士の職域とは全く知らずに。


知らず知らずに
引き寄せられるように

この世界の扉を叩いていた。



言語聴覚士養成校に入り、
専門性に苦戦しながらも

アルバイトでお小遣いを捻出し
「国家試験浪人」にならないように、
必死で3年間を過ごした。

当時の仲間は戦友のようで、
他の友人達とも一線を画している。


なんとか滑り込み合格、
晴れて言語聴覚士免許取得し

これまた滑り込み就職し、

当時、何も知らなかった介護保険の世界へその後どっぷりつかることになる。



〈開拓期〉

就職してから、
それはもう夢中だった。

奨学金の返済もあるし、
他の働く場所だってない。

ここで一人前にならなければならない。

つねに背中を押されていた。

PTの仕事もOTの仕事も盗めるものは盗んで、自分のアイテムを増やしていった。


やるしかなかった。


何より私にはコンプレックスがあった。


持ち前の適当さやドジさ、
イジられることも度々あった。

それ自体はいいけれど
幼少期からの負けず嫌いもでて、


就職してからも
「ちゃんとやってるの?」と友人達から言われることは我慢ならなかった。


気づけば5年経ち、
自分でも言語聴覚士らしい仕事ができるようになったと自信がもてるようになってきた。


そこでふと、疑問がわいた。



「私はここ以外、なにも知らない」



言語聴覚士として働くこと。

この職場では、ある程度みとめてもらえていると思う。裁量権もある。


でも、他の場所では
私の言語聴覚士としての価値はどうなんだろう?



ここに気づいたとき、
怖くなった。


このままここでキャリアを積み続けていいのか、その問いが頭から離れなかった。


スキルアップのため、毎月お金と時間をかけ研修会に参加し、

その後、管理職を任されるなど経験しながらも

そこに真の魅力は感じなかった。



「自分の言語聴覚士としての価値」


ずっと、このキーワードが
頭をこだましていた。




〈変革期〉

当時、結婚3年目。

共働きで二人ともそれなりの収入があって、

自炊せず、欲しいものを買い、
遊びに出かける


そんな適当な生活をしていても
なんとなくお金はある状態。


それがひどく生活感のないものに感じ、

働いて得たお金が何に変わっているか
実感がなく、


ただ時間とお金を等価交換しているように思われた。


夫婦でいても、寄り添いあっているというより、それぞれが自分の生活を遂行するために、毎日を暮らしている感覚。


人には「それの何がいけないの?」と言われるかもしれないが、

私にはそこに「生活感」というかけらも感じられなかった。



もっと、時間を1日を大切に使いたい。

晴れた日は晴れの一日を思う存分楽しみたい。

誰かの決めたスケジュールに沿って時間を消費することはしたくない。

毎日同じ人たちと顔を合わせ、
10年後も同じように挨拶を交わし、
出会う人、交わされる会話、新しい情報に限定された生活を送りたくない。


なにより、もう一度
一から「時間とお金」を見つめ直し、
「人」との関係を構築したい。


そう、心が求めていた。


実力主義の世界に身をおき、
評価される自分に価値をおき、

いつしか自分にも周りにも優しさがなくなり、体型変化が止まらなかったとき


自分にたくさんの「我慢」を強いていると感じるようになった。



私に、「時間」という絶対的な価値を教えてくれた、「看取り」。


この人生は1つしかないこと。
時間には限りがあり、有限であること。
無限だと思っているものは偽りであること。


死から生を学ぶ、死生観を
20代のうちから学べたことは

自分のこれからの生きる指針となる財産となった。




「今」を生きたい。



忙殺される日々の中で、
その言語聴覚士という仕事の魅力を失いかけながらも、


やっぱりこの仕事が好き、と
再びこの職業を選び直し、
この仕事を自分の生き方とすることに決めた。


たった一度の人生、
「人のために時間を使おう」

多くの尽きていく命を前に
自分の命の使い方も強烈に考えるようになった。



働きたい場所がないなら、
自ら働きたい場所をつくるしかない。


働きたい仕事内容が合わないなら、
自らその仕事内容を生み出すしかない。



価値創造。



言語聴覚士として名乗り、
働くにはこの道が自分らしいと思えた。




〈奔走期〉


フリーランス言語聴覚士


当時、フリーランスという言葉が流行りを見せていた頃。


でも一般人にとっては
組織に所属することが当たり前。


ましてや、医療や介護業界で医師の指示のもとに働く言語聴覚士が、

いかにして仕事を得るのか
周りからの理解は示されているとは言い難かった。


しかし、井の中の蛙、大海を知らず。


ローカルで専門性がある、ということで
仕事の依頼がくると、メールの問い合わせばかり見ていた日々。


ほとんど営業活動もしていないのに。

本当に仕事はやってくるものだと思っていた。


当然目が覚め、

できる小さな一歩を探し、
「嚥下障害予防」にシフトを置き、
始動することになる。



なぜ「嚥下障害予防」だったかといえば、

あの日のじいちゃんがあったから。

「まだまだ子ども」と言われたじいちゃんに、言語聴覚士として向き合えたのはわずか7日間。

最後は臨終の場にもいられなかった。



看取りの命の現場で
たくさん立ち会わせてもらった

最後の命の尽きるとき。



最後の姿が美しくあるように、
早期から嚥下障害を知り、予防ができることは、その人の最期を決める重要なものと思われた。


なにより、

自分の生きた時間も
他人の生きた時間も

大切にしたかった。



後悔のないように。

生きる選択肢の上に、「嚥下障害予防」があるように。


活動基盤を作り、

講演依頼や講師など、少しずつ活動の機会に恵まれるようになってきた。


同時に、かつて願った

これまでに出会っていないたくさんの人たちと出会い、仕事を共にしたい


その願いのもと、


コラボレーションなどの機会も増えてきていた。


段々とチャレンジすることへの恐れが遠退き、行動のスピードが加速する。


その後、言語聴覚士が営むカフェの経営、嚥下食の開発など多岐にわたる挑戦をすることになる。

  

〈移行期〉


移行期、今。


今、私はすごく自由に感じている。



この約4年間を通じ、

チャレンジと修正を繰り返し


フレキシブルな働き方が身に付いたと感じるから。


なにかに固執するわけでもなく、
フリーランスの本当の意味を、
そして価値を、真に感じられるようになったことが最近であるからだ。


ずっと、事業として形にしなければと
焦っていた。


事業化、収益化、

形にこだわり、継続にこだわっていた。




でも、


このコロナショックの今。



世界が、日本が
大衆が、個人が

大企業も中小企業も

働き方、生き方、考え方



変わることを余儀なくされる今、


結局、素直に変われた人だけが
衰退せず残っていく。


この原則は古代から変わらない。



変態すること。
つまり、成長にあわせ変化させること。



いつの時代もこれができなければ
淘汰されるだけ。



安定なんて、安心なんて
そう思いたい思い込み、

儚い幻想でしかないのは悲しい事実だ。



だから、
今日も私は、活動の軸は変えず
その「在り方」は自在に変えながら、



自分の限りある時間を使って
何を表現し、

どんな人を幸せにしたいのか


こだわりながら考え、行動変容していく。



成したいことは、決まっているから。



その実現に至るまでのステップを
いくつも持っている人は強い。


過去や経験に縛られる人は
変化に弱い。



ふとした時にいらぬ考えに頭が及び、
すっと悩みの中に入り込んでしまうこともあるけれど、


その時は何度でも
自分のうちなる声に耳を済ませ、


自分の人生軸に定めた
自分の生涯の仕事を誇りに思いながら

丁寧に見つめ直せばいい。



フリーランス言語聴覚士になって
心からよかったと思う。


出会いや経験、
組織外だから起こる異業種とのマッチング


楽しくて
自分の未来に期待して


また今日も未来を描く。



この人生の生業における思いはきっと、
水をかけても消えない炎のように


これからも燃え盛っているだろう。


フリーランスだからこそ、
その火加減も自由なのだから。

あなたとあなたがいてくれるから

【第94回】

あなたとあなたがいてくれるから

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いつもこのブログに訪問くださり
ありがとうございます。




今日はすごく当たり前のことを
書きます。



でも、当たり前すぎて
見逃してしまう大切なこと。





すべての感情や経験は、
相手がいないと成立しないということ。




この春、お仕事で
新しい環境が始まったり、

新しいメンバーを迎え
仕事を教える側になった、

そんな方も多いと思います。





なんでこんな言い方するんだろうって、

なんでそんな態度とるのって、




そんなつもりで言ったんじゃないのに
伝わらない


逆効果になる、



なんでなんで、



そんなことも今時期は
多いかもしれません。




特に指導者側にまわるとき、


思ってた行動をしてもらえない、

素直に聞いてもらえない



そんな風に感じることだって
少なくないものですよね。




でも、仕方ないんです。



自分と相手は違うから。



自分がわかったことが、
相手も同じ過程でわかるようになるとは限らない。


知識量、理解力、処理速度、想像力…



人と人が同じようなステップで成長していく、そんなことはあり得ないことです。




すごく当たり前のことを
言ってしまいますが、



後輩がいないと指導はできません。


受けとる相手がいないと
今のような悩みを持つこともできません。



すべては経験。



相手がいないと
経験することもできない


相手がいない
と学ぶことのできないこと


なんですよね。





私はかつて、指導にあたり
気ばっかり焦っていた時がありました。




早く一人前にしてあげたい。



その思いは立派でも、

相手にとっては
逃げ場をなくされているように

感じていたのかもしれません。




どこかで私の中でも


「私はこれで成長してきた」から、


この通りにやれば上手くいくのに、


そんな様に相手を当てはめようと
していたのでしょう。




一向に心は繋がらず、
すれ違いを感じていました。




相手がいるから教えられる、

受け取ってくれる人がいるから
伝えられる、



そんな当たり前の原則を

すっかり忘れていました。




でもね、


本当に

すべては
相手がいるからできること。




たとえ悩みであっても、

たった一人では悩みも経験もできません。




成長するためには、


自分以外の相手が必要。



これは職場でも家庭でも同じです。




あなたがいるから成立する。



あなたとあなたがいてくれるから
見えてくる世界がある。



思うようにいかないことを
相手のせいにすることは簡単です。



でも、それでは
いつまでたっても解決しない。




私が過去の経験で得たものは、


「自分と相手は違うということ」と、


「待つこと」


でした。




自分一人のペースでやっている時には

学べない経験。



まさに相手がいたから
知れたことでした。




みなさんはどうですか?



「いてくれてありがとう」

この気持ちを根底にもてるかどうかで、

言葉や態度は変わってきます。




人間関係はどちらかが
窮屈に感じると成立しない



相手に向き合う心に
少しだけ余白を持てると、


相手を追い詰めてしまうことも
防げると思います。



人の心と人の心。



いずれも毎日変わる生物です。



合うときも合わないときもある。



だからこそ、


そもそもが「相手がいないと成立しない」ことを踏まえた上で、



少しだけ余裕を持ちながら
向き合っていけると


関係性は変化していく、


相手の成長度合いで
自分を責めたり、モヤモヤしたり


必要以上に自分のエネルギーを
そこに割かないで、



適切な距離感をもって
関わりあいをもてるのでは、と思います。




自分も相手も苦しめることなく、
適切な距離感を考える。



そのためには、
「あなたとあなたがいてくれるから」


そんな視点も大切だと感じています。