フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

【特別コラム】フリーランス言語聴覚士になるまで~自分史を振り返る

【第95回】

特別コラム

フリーランス言語聴覚士になるまで~自分史を振り返る~」

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さて、どこから振り返ろうか。


頭の中に数々の場面が回想される。


そうだ、ここからにしよう。


私がフリーランス言語聴覚士になって
4年近くがたつ。

思えばいろんな事柄を手掛けてきた。


それは、事業と呼べるほど
しっかりとかっちりとしたものではなく、

「こんなのあったらいいな」が

ひたすら形になるように動いてきたもの。

成功か失敗か、そんな二択ではない、

大きな発見と数々の出会いと
素直に動くことの喜びを感じさせるものだった。


こんな形で働けるようになれたこと。


これは、ビジネスモデルでも
成功ノウハウでもなんでもない。


一人の女性として
一人の言語聴覚士として


働くことを見つめ直し、
暮らしを見つめ直し、
生き方を見つめ直した

精一杯、自分のうちなる声を聞き続けた結果、今に至るというお話です。



〈草創期〉

北海道の片田舎で3女として産まれる。

365日外で遊びたい、ままごとなんて大嫌い、冒険や新しい遊びをしたい

そんなエネルギーをもて余している子どもでした。

じいちゃん子で、
よく一人で遊びに行って

何をするでもなく、古い家にじいちゃんと過ごす時間が好きだった。

高校生になり、進路選択で
将来は人の役に立つ仕事がしたい、と漠然と決まっていて、

ふと目にした職業紹介ページで「言語聴覚士」が紹介されていて

その「珍しい」「他の人がやっていなさそうな」「言葉のスペシャリストのかっこよさ」に釘付けになり、

まだ一度も出会ったこともない言語聴覚士という道を歩むことを決める。


当時、
徐々に脳血管性認知症の症状が出ていて独居が難しくなったじいちゃん。


少しの間だけ一緒に暮らした時期のこと。

高齢者と暮らすということは、
当時、女子高生花盛りの私には辛かった。

あれだけ好きだったじいちゃんなのに、優しくできず話しかけることも、視界にはいることさえも躊躇していた気がする。


「まだまだ子どもだ」


じいちゃんが私にいった言葉が忘れられない。


そんなじいちゃんが次第に嚥下障害になってきた。
 

高校生の時から、「口から食べられなくなること」を考えるようになった。


言語聴覚士を目指しているのに、
嚥下障害の治療が言語聴覚士の職域とは全く知らずに。


知らず知らずに
引き寄せられるように

この世界の扉を叩いていた。



言語聴覚士養成校に入り、
専門性に苦戦しながらも

アルバイトでお小遣いを捻出し
「国家試験浪人」にならないように、
必死で3年間を過ごした。

当時の仲間は戦友のようで、
他の友人達とも一線を画している。


なんとか滑り込み合格、
晴れて言語聴覚士免許取得し

これまた滑り込み就職し、

当時、何も知らなかった介護保険の世界へその後どっぷりつかることになる。



〈開拓期〉

就職してから、
それはもう夢中だった。

奨学金の返済もあるし、
他の働く場所だってない。

ここで一人前にならなければならない。

つねに背中を押されていた。

PTの仕事もOTの仕事も盗めるものは盗んで、自分のアイテムを増やしていった。


やるしかなかった。


何より私にはコンプレックスがあった。


持ち前の適当さやドジさ、
イジられることも度々あった。

それ自体はいいけれど
幼少期からの負けず嫌いもでて、


就職してからも
「ちゃんとやってるの?」と友人達から言われることは我慢ならなかった。


気づけば5年経ち、
自分でも言語聴覚士らしい仕事ができるようになったと自信がもてるようになってきた。


そこでふと、疑問がわいた。



「私はここ以外、なにも知らない」



言語聴覚士として働くこと。

この職場では、ある程度みとめてもらえていると思う。裁量権もある。


でも、他の場所では
私の言語聴覚士としての価値はどうなんだろう?



ここに気づいたとき、
怖くなった。


このままここでキャリアを積み続けていいのか、その問いが頭から離れなかった。


スキルアップのため、毎月お金と時間をかけ研修会に参加し、

その後、管理職を任されるなど経験しながらも

そこに真の魅力は感じなかった。



「自分の言語聴覚士としての価値」


ずっと、このキーワードが
頭をこだましていた。




〈変革期〉

当時、結婚3年目。

共働きで二人ともそれなりの収入があって、

自炊せず、欲しいものを買い、
遊びに出かける


そんな適当な生活をしていても
なんとなくお金はある状態。


それがひどく生活感のないものに感じ、

働いて得たお金が何に変わっているか
実感がなく、


ただ時間とお金を等価交換しているように思われた。


夫婦でいても、寄り添いあっているというより、それぞれが自分の生活を遂行するために、毎日を暮らしている感覚。


人には「それの何がいけないの?」と言われるかもしれないが、

私にはそこに「生活感」というかけらも感じられなかった。



もっと、時間を1日を大切に使いたい。

晴れた日は晴れの一日を思う存分楽しみたい。

誰かの決めたスケジュールに沿って時間を消費することはしたくない。

毎日同じ人たちと顔を合わせ、
10年後も同じように挨拶を交わし、
出会う人、交わされる会話、新しい情報に限定された生活を送りたくない。


なにより、もう一度
一から「時間とお金」を見つめ直し、
「人」との関係を構築したい。


そう、心が求めていた。


実力主義の世界に身をおき、
評価される自分に価値をおき、

いつしか自分にも周りにも優しさがなくなり、体型変化が止まらなかったとき


自分にたくさんの「我慢」を強いていると感じるようになった。



私に、「時間」という絶対的な価値を教えてくれた、「看取り」。


この人生は1つしかないこと。
時間には限りがあり、有限であること。
無限だと思っているものは偽りであること。


死から生を学ぶ、死生観を
20代のうちから学べたことは

自分のこれからの生きる指針となる財産となった。




「今」を生きたい。



忙殺される日々の中で、
その言語聴覚士という仕事の魅力を失いかけながらも、


やっぱりこの仕事が好き、と
再びこの職業を選び直し、
この仕事を自分の生き方とすることに決めた。


たった一度の人生、
「人のために時間を使おう」

多くの尽きていく命を前に
自分の命の使い方も強烈に考えるようになった。



働きたい場所がないなら、
自ら働きたい場所をつくるしかない。


働きたい仕事内容が合わないなら、
自らその仕事内容を生み出すしかない。



価値創造。



言語聴覚士として名乗り、
働くにはこの道が自分らしいと思えた。




〈奔走期〉


フリーランス言語聴覚士


当時、フリーランスという言葉が流行りを見せていた頃。


でも一般人にとっては
組織に所属することが当たり前。


ましてや、医療や介護業界で医師の指示のもとに働く言語聴覚士が、

いかにして仕事を得るのか
周りからの理解は示されているとは言い難かった。


しかし、井の中の蛙、大海を知らず。


ローカルで専門性がある、ということで
仕事の依頼がくると、メールの問い合わせばかり見ていた日々。


ほとんど営業活動もしていないのに。

本当に仕事はやってくるものだと思っていた。


当然目が覚め、

できる小さな一歩を探し、
「嚥下障害予防」にシフトを置き、
始動することになる。



なぜ「嚥下障害予防」だったかといえば、

あの日のじいちゃんがあったから。

「まだまだ子ども」と言われたじいちゃんに、言語聴覚士として向き合えたのはわずか7日間。

最後は臨終の場にもいられなかった。



看取りの命の現場で
たくさん立ち会わせてもらった

最後の命の尽きるとき。



最後の姿が美しくあるように、
早期から嚥下障害を知り、予防ができることは、その人の最期を決める重要なものと思われた。


なにより、

自分の生きた時間も
他人の生きた時間も

大切にしたかった。



後悔のないように。

生きる選択肢の上に、「嚥下障害予防」があるように。


活動基盤を作り、

講演依頼や講師など、少しずつ活動の機会に恵まれるようになってきた。


同時に、かつて願った

これまでに出会っていないたくさんの人たちと出会い、仕事を共にしたい


その願いのもと、


コラボレーションなどの機会も増えてきていた。


段々とチャレンジすることへの恐れが遠退き、行動のスピードが加速する。


その後、言語聴覚士が営むカフェの経営、嚥下食の開発など多岐にわたる挑戦をすることになる。

  

〈移行期〉


移行期、今。


今、私はすごく自由に感じている。



この約4年間を通じ、

チャレンジと修正を繰り返し


フレキシブルな働き方が身に付いたと感じるから。


なにかに固執するわけでもなく、
フリーランスの本当の意味を、
そして価値を、真に感じられるようになったことが最近であるからだ。


ずっと、事業として形にしなければと
焦っていた。


事業化、収益化、

形にこだわり、継続にこだわっていた。




でも、


このコロナショックの今。



世界が、日本が
大衆が、個人が

大企業も中小企業も

働き方、生き方、考え方



変わることを余儀なくされる今、


結局、素直に変われた人だけが
衰退せず残っていく。


この原則は古代から変わらない。



変態すること。
つまり、成長にあわせ変化させること。



いつの時代もこれができなければ
淘汰されるだけ。



安定なんて、安心なんて
そう思いたい思い込み、

儚い幻想でしかないのは悲しい事実だ。



だから、
今日も私は、活動の軸は変えず
その「在り方」は自在に変えながら、



自分の限りある時間を使って
何を表現し、

どんな人を幸せにしたいのか


こだわりながら考え、行動変容していく。



成したいことは、決まっているから。



その実現に至るまでのステップを
いくつも持っている人は強い。


過去や経験に縛られる人は
変化に弱い。



ふとした時にいらぬ考えに頭が及び、
すっと悩みの中に入り込んでしまうこともあるけれど、


その時は何度でも
自分のうちなる声に耳を済ませ、


自分の人生軸に定めた
自分の生涯の仕事を誇りに思いながら

丁寧に見つめ直せばいい。



フリーランス言語聴覚士になって
心からよかったと思う。


出会いや経験、
組織外だから起こる異業種とのマッチング


楽しくて
自分の未来に期待して


また今日も未来を描く。



この人生の生業における思いはきっと、
水をかけても消えない炎のように


これからも燃え盛っているだろう。


フリーランスだからこそ、
その火加減も自由なのだから。