フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

Dragon Night から読み取ること。

【第57回】


今日は、ずっと書きたかったことについて、

ブログテーマに選びました。


突然ですが、
SEKAI NO OWARI(通称セカオワ)の
Dragon Night



この曲はすごく好きで、

最初に聞いたとき、

その歌詞の深さと、するどさに驚きました。


以下


Dragon Night    / SEKAI NO OWARI


今宵は百万年に一度 太陽が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも
今宵は休戦して祝杯をあげる

人はそれぞれ「正義」があって
争いあうのは仕方ないのかもしれない

だけど僕の嫌いな「彼」も
彼なりの理由があるとおもうんだ


~~~


今宵は百万年に一度 太陽が夜に遊びに訪れる日
終わりの来ないような戦いも 今宵は休戦の証の炎をともす

人はそれぞれ「正義」があって
争いあうのは仕方ないのかもしれない

だけど僕の「正義」がきっと
彼を傷つけていたんだね


~~~

今宵 僕たちの戦いは 「終わる」んだ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




改めてみても、

ハッとさせられます。



人はそれぞれ「正義」があって
争いあうのは仕方ないのかもしれない

だけど僕の嫌いな「彼」も
彼なりの理由があるとおもうんだ

だけど僕の「正義」がきっと
彼を傷つけていたんだね



普段暮らしていて、
みんなそれぞれの「正義」があると
思うんです。



「正義」という名の
自分なりの「常識」
マイルール


自分の中の「普通」は、

「普通」ではないこと。



日常で起こりやすいトラブルは、
「正義」の押し付け合いであることが
多いと思うんです。



そして、
自分以外の人も、また


「正義」や
自分なりの「常識」「マイルール」に


とらわれ、でも、
そこにも「彼」なりの「理由」がある。



そして、自分の「正義」が、
知らず知らずに「傷」つけているかもしれない。



自分の「正義」を疑ってみることは、
時に大切な作業だと思います。



また、相手のバックグラウンドを考えてあげることも、歩み寄りの姿勢です。



互いに傷つけあうことを
回避するために。



エネルギーを奪い合うことは、
消耗でしかありません。




「正しい」とか「正しくない」とかじゃない。


「合ってる」とか「間違ってる」とかでもない。




本当は、物事って、


白か黒かをつけない、



曖昧さを残しておくことも
大切ではと思うのです。




「どっちも合ってるし、間違ってない。」


実は、そんなことばかりじゃないでしょうか?





最近、思うこと。




「起こった事実は変わらないけど、
起こった事実の解釈
変えられる」



よく、過去は変えられない
といいますが、



変えられない部分は、


事実の部分。


起こった事柄。起こった事象。




起こった事柄、事象に対する解釈は、


マイナスにも、プラスにも捉えることができる。




人間の脳は都合よく記憶しているので、
大体事実と異なることが多いものです。




だったら、自由に解釈したっていい。



過去に対してくよくよする必要は全くなくって、



「~だからよかった。」に置き換えてしまえばいいのです。





過去に起こった出来事、
現在起こっていること、


一方向からだけではなく、
多方向から見てみることで、


解釈は無限に広がる。



人間的に豊かで、たおやかな人って、
この解釈が無限にある人だと思っています。




その解釈の仕方を増やす鍛錬が、
これから起こりうる未来を


ハッピーに過ごせるかどうかも、
変わってくるかもしれません。



自分を考え、
相手の立場を考え、
いろんな角度でみること。



その時、セカオワではないですが、

「今宵、僕たちの「戦い」は終わる」かもしれません。





「戦い」をつくらない工夫や努力は、
他者への思いやりです。


社会というものは、紛れもなく、
ひとりひとりの構成がつくっているもの。



セカオワから、少し考えてみました。


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