フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

最期の一口を届けるために

【第61回】


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私が人前でお話をさせていただくとき、


必ずするお話があります。


それは、



「最期に何を食べたいですか?」



の問いかけです。



私は大好きなおはぎ か、
だしの効いたお味噌汁か、


まだ迷っているところなんですが、


今のところ、

このどちらかが口に入ると、


きっとにんまりする最期を
送れるのではないかと思っています。




それは、私の場合。



それが大切な家族やパートナーだったら?

患者様や利用者様だったら?



そこまでのコミュニケーションは
とれているでしょうか?


深くはっきりとしたイメージを
もてているでしょうか?



「自分だったら」と
「自分以外だったら」

は必ず違うんですね。




『最期の一口』があってもなくても、


その方のお好みで
どちらでも良いかとも思います。



ですが、味覚をとおして感じる、

思い出す自分の人生の歴史、人生史。



最期の一口』が、


おふくろの味、
なつかしい故郷の味、
我が家の味、


大好きなお酒の味、

通い詰めたあの店の味、



そこには、確かに生きてきた
その方の人生の歩みがあります。



味覚や嗅覚を通じて感じられる人生史は、



旅立つ準備をされている
本人、ご家族にとっては、


安らかにその時を迎える準備
そのものであります。



そして、


懐かしい味、
親しみのある味、

好きに包まれた味を受けた
その時の感情は、


どんなにやすらかな
温かい気持ちになることか。



そうして、

人を見送り、感謝し、
その方の人生を締めくくるお手伝いをする。



看取りの現場には力があるのです。



私は看取りの現場で約10年、


歯がゆい、悔しい思いを
たくさん抱えながら、

ここにたどり着きました。



それが現在の活動の原点です。



「死」から見つめなおす「生」。



この一連の流れに、
言葉があることを知ったのは、

現在の師匠である 
牧野日和先生が提唱されている


『お食い締め』です。


お食い初め』ならぬ『お食い締め』。



『お食い締め』というネーミングを聞いて、
自分の中のモヤモヤや葛藤が整理され、

肚に落ちた感覚でした。




『ここ』をもっと、極めたいと。





食べられなくなると、
最期を迎える準備が始まる。




「食」をとおして、

「人生史」を「何」に包まれながら
終えるのか。


そこは、やはり「人」であると思うのです。



「人の温もり」「温度感」



AI にはできない、

人にしかできないこと。


最期の癒しは、
「人と繋がってきた、自分が残した証」を

感じられることではないかと思うのです。






最期の一口を届けるために。 


何ができるでしょうか?




その時に、脱水で口が乾き、
口のケアが十分にできていなければ、


口の痛みで「最期の一口」を
楽しめないかもしれません。



最期の一口」を
楽しんでもらえるためのケアを。


最期の一口」を
精いっぱい味わってもらえるための
お口のリハビリを。



その人生の中の最期の一瞬に向かって、
環境を整えていく。



その提案をできるために、
専門職はいるのです。



「死」を見つめると、「生」が見えてくる。



看取りの現場では、


いつも、
人生の道筋をたててくれる「死生観」を教えていただきます。