フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

私流・読書との向き合い方

私にとって読書とは、

娯楽であり、学びであり、

生活の中の一部であり、

相棒であり、

知的財産である。

 

たまに、

「読書なんてしても意味ないよ」なんて

ご丁寧に教えてくれる人がいるので、

「なにをーー!?」と一瞬思うけど(笑)、

 

まぁ、あまり気にせず、

日々、淡々と本を読む。

 

しかし、そんな私が

最近、ちっとも本が進まない。

 

かれこれ1ヶ月以上になる。

月が変わったら何か変わるかも?

と期待していたけど、

どうやら状態は変わらない。

 

正確にいうと、

本が入ってこない。

 

入ってこないのは、

頭にも入らないし、

もっというと、

生活の中に入ってこない。

 

いったいどうしちゃったんだろう?

 

本が読みたいのに。

本と両想いになりたいのに!!

これじゃあ未練たらしい片思いじゃないか。

 

でも、

薄々、自分でもわかっている。

 

たぶん、おそらく、単純に、

今、他のことに頭がシェアされているからだ。

 

だって、自分が今、

どうしても頭に入れなければならない

書籍類はサクサク進むもの。

 

待っててね。ごめんね。

愛する本たち。

かまってあげられなくてごめん。

でも必ず戻るからね。

 

 

とまあ、

最近こんな気持ちなわけでして(笑)

 

 

人間だから、そんな時もありますよね。

当然です。

 

頭に入ってこない時、

それは、

今、その本が自分にとって

読むべきタイミングじゃない

 

ってことだと思います。

 

今、無理に読むものじゃない。

今、無理に読んでも、何も感じられないから。

 

 

読み物として「読む」じゃない、

感じるために「読む」のだから。

 

 

心に隙間が空けられない時は、

無理に読書と向き合おうとしない。

 

いったん「読まなきゃ!」の思いから

解放されてみる

 

そうして、

心さみしくなったとき、

また本と仲良しになる。

 

何事もなかったかのように。

 

 

それでいいと思う。

 

 

第一、

無理にめちゃくちゃに本を読もうとするなんて、

本に失礼だし、

身を削る思いで書き上げた

作者に失礼だし、

ひとつひとつの作業を丹精込めて

作り上げた出版社に失礼だ。

 

読むからには、丁寧に読む。

読むからには、敬意をもって読む。

 

だから、読めないときは

あえて無理に読まない。

 

 

それが私流・読書の向き合い方です。

 

※一部オトメちっくな表現、ご容赦願います(笑)