フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

フリーランス言語聴覚士のこれまでとこれから

【第107回】

フリーランス言語聴覚士のこれまでとこれから


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いつもこのブログに訪問下さり、
ありがとうございます。



2020年も終わりが近づいてきています。


この時期に自然と振り返るのが、

「今年はどんな年だったのか。」



振り返ってもなかなかこんな年はなかった、
と思えるような今年の一年ではありますが、


どうかこの状態が

雲の切れ目から日の光が差し込むように、
霞が晴れるように、穏やかな日々になりますことを
願わずにはいられません。




私は、今年を振り返るにあたり

ふと気づくとフリーランス言語聴覚士になって
5年目に入り、


自分としてももう5年目と
驚きを隠せてはおりませんが、、、



自分なりに歩んできた道があるので、
このあたりで少し振り返りたいと思います。
(過去ブログでも触れてはいるのですが)


フリーランスSTに関するお問合せや
コンサルの申込みなど、ご相談を頂くことも増えているので、


ここにも参考までに記事にしておきます。




フリーランス1年目

2016年、ST8年目、29歳

時期は定かではありませんが、
1年位前からフリーランスを意識し始め

色々と思い悩む時期と重なり、

退職を決めフリーランスの道に。
半年間の退職までの準備期間を設け、

訪問リハビリの移行の関係から

最終的には常勤退職後、すぐに非常勤に切り替わることになり

老健週12時間勤務となる。


非常勤勤務以外の時間はフリーランスとなり、
今振り返ると、セミフリーランスや複業という形式にあてはまると思いますが、

介護予防分野に参画するために、さぁどう仕事をつくっていくか。



仕事の軸として
「嚥下障害予防」「嚥下障害の啓発」のテーマしか決まっていなかったこともあり、

嚥下食に特化した配食事業をはじめるか、(これは配食事業の現在の充実を見ると参入しなくてよかったです)
とろみ剤を地元の食品を使って開発するか、など

何から手をつけるか迷いに迷っていました。


当初の期待としては、
社会的にニーズのある言語聴覚士という専門職が
フリーランスになったら、

そのニーズに合わせてお仕事の依頼が
向こうからやってくると思っていました・・・


現実はそんなに甘くなく、理想と現実のギャップが埋められず

半年間、ST以外にもさまざまな勉強をしながら

頭を少し休ませた時期でした。

後から振り返ると、この時期にした勉強や出会った人、
とった資格など、今、活かされているものばかり。

やはり無駄な時期などないものだな、と思います。



冷却期間のあと、

嚥下障害予防という社会的課題に対するアプローチということで

NPO化を勧められ、

多職種からなる嚥下障害予防を主活動とする任意団体を設立。

その事業として、公民館等を利用した一般高齢者向けの嚥下サロンを月2回開始。

嚥下の仕組みの講義、お食事のご相談、飲み込みやフレイルチェック、
自宅でできる嚥下トレーニングなど実施していました。

言語聴覚士法を確認しながら、
当時ほとんど耳にしていなかったフリーランス言語聴覚士の働き方は

どんな方法なら可能なのか、どこまで出来るのか、

参考にするものなど全くない中、
本当に手探りで進めていきました。

当時は立ち上げた嚥下サロンの利用人数に波があったり、
また、参加費は経費で消化してしまう程度のものであったので、
活動には悩みばかり。

だからといって、自費リハにも踏み切れない。

ある経営者から言われた
フリーランス言語聴覚士のパイオニアになったらいい」の言葉を支えに
進んでいました。

この時に歯を食いしばってまわったのが、行政やケアマネさんの事業所等に営業まわり。

緊張のあまり逃げ出したくなりながらも、
何とか自分を鼓舞して前に前にと進んでいました。



フリーランス2年目


2017年 ST9年目 30歳

少しずつ少しずつ、出逢う人が変わり、

私個人の認知度が高まり、

障害者団体での講演、介護福祉課の高校の授業、

新聞記事での取材など、

お声をかけていただくことが増えていきました。


少しずつ高まっていく、嚥下障害の予防への意識。


その手応えを確かに感じつつ、次のステップに進むことを
思い描くようになりました。


多くの方に参加して頂いた事業の走りとしてスタートした
嚥下サロンは単年度の事業として終了し、

嚥下サロンの発展型として物件を借りて
店舗を持ちたいと夢を描きました。


なにせ、フリーランス言語聴覚士の働き方なんて知らないし、わからない。


こんな言語聴覚士がいたら面白いな、と思う姿を
ひたすらにやっていこう!スタイル。


正解はわからない、だからやってみる。


無鉄砲とも思えますが、


通常だと、病院や介護施設等に所属することが当たり前なSTが
社会で好きに動いてみたら、

どんなおもしろい掛け合わせでお仕事が生み出されるのか、

一種の社会実験のような感覚で


広い意味で嚥下障害の予防ができるような
環境づくり&まちづくりをはじめました。



店舗でやってみる、そのプランは

嚥下障害予防の任意団体が運営する
「地域共生型の嚥下食が食べられるカフェ」


地域の子供たちから、お年寄りの方までにぎわいながら
その真ん中に言語聴覚士がいて、

自然と病気になる前から言語聴覚士に出会える場所をつくりたい。



食品衛生責任者の資格をとり、飲食店営業許可をとり、

家庭のお金は手をつけないことで、夫に新規事業開始の許可をとり

資金調達に選んだのは金融公庫からの貸付とクラウドファンディング



自分を信用、信頼してもらうにはどうしたら良いか、

本を読み、人に相談し、仲間の力を借りて走り抜け

なんとかコンセプトを形にしてオープン。

そのコンセプトのオリジナリティから注目度が高まり、

介護新聞や各種講演会にも度々、お声かけ、取り上げてもらえました。

表向きは普通のカフェなので、

お客様の殆どは通常のカフェ利用のお客様でしたが、

実際に嚥下食の相談に来てくれる人、自身の介護の相談に来られる人、
子どもの発達や構音の相談、

嚥下食の商品開発など、

絶対的な件数は少なくても

確かに必要とされているターゲット層が反応してくれていることを感じました。



非常勤で週12時間勤務と嚥下食が食べられるカフェの経営、営業。

そのほとんどを一人でこなしていたので、
なかなか目の回る忙しさ。

確かな充実感と程よい疲労感。

ただただ走っていました。



フリーランス3年目

2018年 ST10年目 31歳


非常勤の臨床業務とカフェの経営、営業

充実感を感じつつも、STとしてのお仕事は十分にできているのか、
思い悩んでいました。


店に立つと、どうしても
「カフェの人」になってしまう。

言語聴覚士がいる」「嚥下食が食べられる」

そこをコンセプトに強く出しすぎると、来店客層を限定してしまう。

飲食店である限り、来店客数、売上は必須。

今後もどんなスタイルで営業するのか、
考える時期が続きました。


離乳食を販売してママさんたちが元気になれるような
工夫を地域相手にしたり、

嚥下障害予防のカレンダーを制作して販売したり

求められていることに近づこうと工夫の連続の日々でした。


NPOとして法人化するか、その必要性は果たしてどうなのか
そろそろ決断をしなければならない、と思案を重ねつつ

人との出逢いをとにかく楽しんでいた時期でもありました。




フリーランス4年目

2019年 ST11年目 32歳 


そんな中、新たな命を授かっていることが発覚。

長年、そのタイミングを家族で願っていたこと、
悪阻による想像を超えた体調の悪化もあり、

今後の運営の存続を考える機会となりました。


母体を優先とすることで経営を引き継ぐことを決意し、
違うコンセプトのカフェにリニューアルすることになり、


思いがけず歩みがスローになったタイミングの中でも

多職種向けの講演会、地域住人向けの講演会等が

これまでのフリーランスSTとしての活動の種まきがつながっていたり

その活動の重要性を評価していただける機会がつながり、

人前で話す仕事に縁が深いことを再認識しました。



非常勤勤務も正式に退職し、

臨床から一時離れ、完全なフリーランスSTとなったのもこの時期で、

行政の会議、嚥下食食開発など、

出産前までできるお仕事を継続。

COVID-19の影響により
産後もオンライン会議など参加できるお仕事があり、

フリーランスだからこそ、自分のプライベートの状況が変わっても
柔軟に働きやすいことを身をもって感じました。



フリーランス5年目

2020年 ST12年目 33才

夫の半年間の育休でサポートもあり、
産後2カ月より少しずつ仕事開始。


行政の会議へ参加、オンライン嚥下相談、介護施設嚥下相談等、


育児を中心として、言語聴覚士としての仕事も早期から復帰、継続する、

私の中では理想的なスタイルに。


初めての育児のさ中、特に生後3か月くらいまでの母子ともに不安定な時期、

仕事がある、ということが「もともとの自分に戻れる時間」として、
自分らしくいられる貴重な時間でした。

自分らしくいられるから、子育てにもわずかばかりの余裕ができる。

子どもとは笑って過ごしたいからこそ、
言語聴覚士の仕事を通して、自分自身も笑っていたい。


ママになること、STを続けること、

そのどちらも、わがままかもしれないけど諦めたくないし、
その方法を探っていきたい。


不思議なことに、「こんな風に働きたい」としてだした願望は
叶っていることばかりで、

こどもと一緒に働くスタイルを採用して頂けている契約先や、
在宅でオンラインで施設とつなげるスタイルも採用して頂けています。



状況は年々変わっても、自分が理想とする姿はあきらめなくていい、

男性と女性でも、その人のタイプや理想像でも
どんなスタイルにするかは異なりますが、


「こんな言語聴覚士がいてもいい」そんな姿をまず思い描くところから始めることで
形作っていけるのだと思います。


最近では少しずつフリーランスSTの存在と働き方を耳にするようになり、


先駆者の人達からその働き方を教えてもらえるようになってきました。


TwitterなどSNSでは
私も情報集めや面白い活動のST関係者の方々との出逢いを楽しみ、
その活用を重宝していますが、



結局、どんなふうに働きたいか

決めて行動するかは自分次第なんですよね。


フリーランスST」といっても
限りないスタイルがある。


自分にあったスタイルは必ず存在する。



やる前から諦めなくっていい。
それは私自身の体験から会得したことです。




そして、フリーランスST5年目は残り半年。

やりたいことはあげればキリがない程なのですが、

自分の身体は一つ。かけられる時間も限られている。

だからこそ満足いくものに時間とエネルギーをかけていきたい。



年明けに自分としては大きな発表を用意していますが、
それはまた今度の話で、


今は扶養範囲で働くフリーランスママSTとして、
今後も時間とその働く範囲を自在に変化させながら、


もっともっと限りなく
STを面白くする挑戦を続けて

キーワードの「いつでも柔軟に」を変えずに進んでいこうと思います。

言語聴覚士になろうとしてる人に届けたい

【第106回】

言語聴覚士になろうとしてる人に届けたい


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いつもこのブログに訪問下さり
ありがとうございます。


今回は言語聴覚士を目指そうとしている人向けに
記事を書きたいと思います。



というのも、最近Twitter等で
養成校に行くか行かないか悩んでいる、


養成校に行った先で、どの方向性に行けばいいか
思い悩んでいるなどの声をリアルにお聞きするから。




とはいっても、何から書けばいいか
考えれば考えるほど悩んでしまうので、



過去ブログにも触れているとは思うのですが、

改めまして

私が言語聴覚士に進路を決めた成り行きと、
就職先を選んだ経緯等触れていきます。



さて、遡ること
高校二年生の進路選択時期。


子どもの頃からボランティアや福祉関係に
なんとなく興味を持っていました。


当時の自分の言葉で言うと、
「人のためになるような仕事がしたい」



恐らくこれは、

医療職のような直接人に関わり

「ありがとう」が伝わりやすい仕事を指していたのだと思います。



そこで初めに選んだものが、養護教諭
いわゆる保健室の先生ですね。


とてもなりたかったのですが、
その競争率の高さに現実面で諦めました。



さて、似たような業界で何かないものかと探したところ、

職業紹介の専門誌で視能訓練士を発見。


「なにこれ、こんなお仕事あるの?超マニアックでかっこいい!!」
(当時の言葉そのままに)


当時、珍しいお仕事に心惹かれるそんなお年頃でしたので、
特殊な職業に強烈にひかれていました。


そして、その専門誌の次のページをめくると、
言語聴覚士」の紹介ページが。


忘れもしない、あの衝撃!!!

「なに、このかっこいいお仕事!!!!」



仕事内容も全くよくわからないままに、

「言語」「聴覚」

その言葉から発する専門的なイメージに
なんの根拠もなく、

「この仕事につきたい!」と進路を決定しました。



そこから北海道で数限りある養成校を見つけ

平均評定をギリギリ上げ、
なんとか推薦枠で滑り込み3年過程の養成校に入学。


その間、学費等の関係で
親に反対されて猛烈に説得して


どんな職業かもはっきりと掴めていないままに
憧れたまま走った高校3年生。


まさに猪突猛進。
こんな進路決定のエピソードにただただ自分でも
驚くばかりです。


それで本日まで続いているなんて不思議ですね。


高校3年生で祖父が重度嚥下障害になり、
胃ろうの選択を迫られ、

母の深く悩み続ける姿を間近で見ていたことは
今の嚥下障害予防の活動の原点ではあるのですが、


当時は嚥下障害治療が
言語聴覚士の職域の範囲とはつゆしらず。


ただただ「言葉」に関わるお仕事をしたい、と
青臭く思っていました。
(昔から本を読んだり、国語の授業が好きでした。何ならポエムとかも・・・)



この時点では就職先なんて
全く想定にありませんでした。


地元で言語聴覚士さんが働いている病院を耳にしたり、

実際に見学に行ったことがあったので


なんとなく地元の病院で働けるのかも?と
漠然と捉えていたのですが、



どこでどんな風に働けて
どんなお仕事になるのか


わからなかったからこそ、大きく迷うことなく
学生生活を送ることができたのかと思います。




実際に就職先を考え始めたのは

私の場合、実習期間の頃。



それまでクラスメイトの中でも

就職先の話をする機会は少なく、



多くの友人もはっきりと描いていなかったように思います。



そこから臨床実習が始まり、

「STとして働く姿」がリアルに浮かぶようになった頃。



クラスの中でも実習先で就職したい、
または実習先に声かけられている人が

ちらほらと出てきました。



そこから意識する
どこで、どんな臨床家になるか、ということ。



私の場合、もともと小児や聴覚系の希望はなく、


殆どの学生と同じ、成人希望で養成校に入学、
実習選択をしていたので、



「成人」でどこかで「失語症」「嚥下障害」
が見れる場所に就職したい、


かなり大きくとらえていました。



地域は北海道内で地元に帰省しやすい距離であれば
どこの地域に就職してもよかったのですが、



過去ブログの通り、
実習が思ったようにできなかった思いを抱えていたので、


その実習地がある地域を就職したい地域として選びました。





私の場合、2カ所目の実習先に働けたらなぁと思っていたのですが、
募集枠の制限などもあり



就職先が決まらないまま
国家試験時期に突入。



その間も求人票は見ていたのですが、

地域を限定したことで求人は少なく、
数少ない求人の中で病院関係はその枠が着々と埋まっていき、


1つだけ残っていた求人票を国家試験の勉強中も
繰り返し繰り返し見ていたことを覚えています。



その場所は介護保険分野の施設で

思い返せば、当時養成校では
ほとんど介護保険について学習する機会がなく、

全く未知の領域であった介護保険分野。



友人には、「初めは病院勤務がいいんじゃない?」と言われたけれど、

担任の先生には、「老健で勤めたらその対象領域が広いから、どこでも働けるようになる。
一人職場じゃないし、大丈夫だよ。」



と言われ、安心したことを思い出します。



なんとなく、「病院」で働くイメージを持ち切れなかった私が、

なんとなく気になっていた「生活期」と「訪問リハビリ」


そして、身体機能を見れる言語聴覚士になりたい、ということ。




その全てが叶い、自分にはハマり、

今のフリーランスになってからの活動のベースに
介護保険分野がなっているのが驚きです。




そのまま就職活動できずに試験当日をむかえ、

自己採点合格点ギリギリで合否判定まで
就職試験を受けられず、



合格発表の日にその足で流れに身を任せたまま、
前述の介護施設に面接に行き、


当日のうちに採用が決まり、

翌日には入社式を受けたこと。



用意されていたかのようなタイミングで、

就職できたことはただただホッとしました。




そこからのめり込むように10年勤務し
今に至るのですが、


就職先については
学生時代から良い意味でおおらかに考えていました。



それというのも、現在と同様で就職先の募集数に関しては
成人領域は十分にあり、


かつ教員から
「リハビリセラピストは転職してスキルアップをするのが当たり前」
という風潮を聞いていたからです。



ひと昔前の働き方の捉え方ではなく、

「転職する人が多い業界」と聞いていたことで

比較的楽に考えられていたと思います。



だから、初就職の場所も気負いしきらずに選ぶことができた。



結局、どこで働くか考えに考えても、

実際にその職場が合うか、合わないかはわからない。




働く場所に拘ることも大事だけれど、

働いた場所で、どう働くか、考えて行動することの方が

大切だと振り返って思います。




学生時代に、教員から

言語聴覚士の就職状況のリアルや

待遇、地域差なども聞ける範囲で聞けていたことは
とても大きなことでした。



その意味で、養成校には
専門領域の学習以外にも、就職前後の情報を
学生の立場で伝えるコミュニケーションを

濃密にもってもらえたら臨床にでる前後の悩みが減るのではと思います。




最後にこのブログを通して伝えたいことは、



数ある職業の中から、この職業を選んでくれてありがとう
ということ。



世の中に数多ある職業の中から、
言語聴覚士を選んでくれる、って実はとてもすごいことなんです。


自分の大事にしている職業を目指そうとしている人が
このブログを読んでくれていたら、こんなにうれしいことはありません。



労働人口の減る中、消えていく職業もこれから続々とでてきます。


言語聴覚士は、困っている人がいて
成り手がいれば、職業としてはなくなりません。


言語聴覚士を選択肢の一つとしてでも
あげてくれていることに敬意をこめて。


素晴らしい選択ができることを祈ります。

働き方をフリーランスにするとは

【第105回】

働き方をフリーランスにするとは

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お久しぶりです。

はしっ子ブログ久しぶりの更新です。



書きたい、書きたいと思いつつ
気づけば前記事から3カ月以上も経ってしまっていました。


理由は、あります。


なんだかせわしなかったから。


文章としてアウトプットする場合、
自分の中で整理し落とし込んでいることではないと


なかなか文章に落とせないので

なんとなくこれまで気が落ち着かなかった、ということになりますね。



でも、やはりこれまで文章を書いてきた人にとって

書かなくなる(書けなくなる)ことは
なんだかすっきりしない気持ち悪いものでした。



やはり書きたいもの。吐き出したいもの。



ということで、ブログタイトルをひっそりと変えています。



タイトルの末尾につけたのは

「ウィークリーマガジン」

ウィークリー = 週1回
この場を借りて書かせていただきたいと思います。


今から弱気な発言で恐縮ですが、


時々飛ばすかもしれません。
そこはご愛敬でお願い致します(笑)





さて、私は「なんだかせわしなかった」と書きましたが、

皆さんはどうでしたか?



テレビをつければ、ネットを開けば
コロナ、コロナ、コロナ、コロナ・・・・



なんだか巨大な渦に飲み込まれてしまいそうな

信憑性のあるのかないのかわからない情報が
これでもかとばかりに溢れ返っています。



今、楽しい気持ちでい続けられる方は
少ないのではと思います。


今、不安なく豊かな気持ちが充足している方も
少ないのではと思います。



私のいる介護医療業界も
ボーナスカットが珍しくなかったり(これはコロナ以前からの業績が大きく関与しますが)


なんとなく不安、
なんとなくこのままでいいのか、


そんな思いを抱えるリハビリセラピストも
少なくないと感じます。



というのも、このブログをお休みしていた約3カ月。


このブログの閲覧数は延びているんですよね。


フリーランス」「言語聴覚士」のキーワードで
何らかの情報を欲している人が増えている。



これは、フリーランスになって5年目に入った私が
これまでに感じていなかった実感です。



それは、

「いつか」のための情報収集ではなく、
「動く」ための情報収集だと感じるから。


「いつか」のストックのための情報収集ではなく、
「動く」ための情報収集は


そのスピードも、その密度の濃さも全然違う。



直接連絡を頂く方からは
その熱量をしかと感じます。


オンラインでも、直接会わなくったって
しっかり感じるんですよね。




その中で、よく頂く質問は

「どうしたらフリーランスになれるのか」


ということ。



フリーランスは名乗ってしまえば、
もうその日からフリーランスになれるので

簡単になれるものなんですが(笑)




ここでの質問の意図はおそらく

「どうしたらフリーランスで仕事ができるのか」

ということなんですよね。



いわばどうやって仕事を作ったらいいのか、
ということ。




ここも答えはいたってシンプルです。



「自分はどんなことを<フリーランスの立場になってまで>やりたいと思ったのか」

ということ。




忘れてはいけないことは

組織から離れてフリーランスになる、ことが
ゴールではありません。




フリーランスになって「何を」したいのか。

安定から離れてフリーランスになってまで
やりたいことは何なのか。



これを突き詰めていくと必ず、
自分が提供できるお仕事が見えてきます。


それは保険内なのかもしれません。
保険外なのかもしれません。



医療機関が長ければ長いほど、
介護保険分野が長ければ長いほど、


これまでの医療保険介護保険に準じた枠に
あてはめて考えがちです。


それは自分でも気づかないほど、
知らず知らずの枠にはまっています。


それは私の中にもあるし、あなたの中にもある。



でもその枠をうまく外せたら
仕事は無限大に作れる。



もちろん言語聴覚士法など
コンプライアンスは守らなければなりませんが、

守るものを守れば、あとは本来自由です。



フリーランスになってみてわかることは、
ほぼ全て自分でやらなければならない、ということ。


経理も広報も営業も
企画から立案まで


今まで他部署が支えていてくれたこと、
役割分担されていたことが

「自分でやる必要があること」になります。


お金を払って人にやってもらうこともできますが、
それも経費のかかること。



自分の仕事、得意なことに集中できることは、

組織に所属する大きなメリットです。




フリーランスになると、

これまで所属していた場所の大きさ、
社会的信頼性を本当に強く感じます。


フリーランスになると、後ろ盾がありません。

守ってもらえるものも支えてくれるものも、
そして同じ立場で相談できる人も


かつての上司や同僚のような存在は当然ながらありません。


自分の休みをカヴァーしてくれる同僚や後輩もいないので
スケジュール管理や体調管理は絶対です。



これまで医療介護の世界しかやってこなかったのならば、
その世界以外のことを何もしらない、と愕然とします。



名刺ひとつ作るにも、ホームぺージを作るにも、
今は安価で作りやすくなっていますが、それも知らないと利用できません。



フリーランスは総合力が問われます。


この人に仕事を頼んでも大丈夫か、
この人と一緒に仕事をしたいか、


人としての信頼感をいつも見られています。



フリーランスになるということは、
孤独でシビアなものです。




ですが、ここまで現実面を言ってもなお
上回る楽しさや喜びがあります。



自分が作った仕事やサービスが必要とされる嬉しさ、
業界外の人と一緒に仕事をする楽しさ、


これまで保険内で加算がないから諦めていた
「こんなのあったらいいな」を形にできる自由さ、

そしてそれがニッチであっても、確かに必要とされる喜び



それらの一連の過程を正当に評価してもらえる
自由設定の報酬


誰が関わっても同じ報酬の世界から
自分に価値をつけて報酬設定できる世界になります。




フリーランスとは
良くも悪くも自由なのです。



自分がフリーランスになって

〈良い面〉を伸ばすこともできるし、
〈悪い面〉を伸ばすこともある。



自由とはそういうことだと思います。





今日書いた話は、フリーランス脳」を育てる話でした。




よく聞かれることは、実際のお金の話

ようは食べていけるか、食べていけないかの話なのですが(笑)



これは、生活に必要なお金は人によって違うし、
満足のいく額も違うので、


なんともお答えしようもないのですが、


自分の受け取りたい報酬額を設定して働くことはできます。


報酬よりも時間の方が大事だったら
そのように設定して働くこともできます。



自分にとって何が大切なのかがわからないと、

フリーランスになっても苦しむことになります。



ぜひ、何のために
フリーランス〉になり、

フリーランスになってまで〉
やらなければならないことは何なのか、

考えて、考え続けて下さい。




この作業は誰かがやってくれるものではありません。


自分が自分で
向き合わなければならないもの。



人に相談し続けても、

結局最後に決めなければならないのは

自分なのです。

食べる力を高めるまちづくりとは

【第104回】

食べる力を高めるまちづくりとは

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いつもこのブログに訪問下さり
ありがとうございます。


今日は、先日リニューアルした
NPO食べる力・円のホームページの紹介をさせていただきますね。




peraichi.com






以前まで利用していたホームページが
内容もかなり古くなってしまったので、

一式リニューアルいたしました。




簡単な内容としては、



  • 嚥下障害予防の講演事業
  • オンライン嚥下障害相談室
  • まちなか嚥下障害相談室
  • 介護食・嚥下食料理講座

などのご案内をしています。



まちなかはリアルで、
遠方からはオンラインで、


広く利用していただければと思います。



北海道北見市で、人口規模約11万人であっても、

まちなかで嚥下障害相談室を開設していると、

「相談をしたい」と声をかけてもらえるもので、



嚥下障害に関すること以外でも、

言語聴覚士常在ということで

お子さんのことばの発達に関する相談なども
度々あります。



在宅介護中の方も

ご自身の仕事と重なると

なかなか時間をつくることが難しいものですが、

オンライン嚥下障害相談室を開設していたことで

スムーズな導入に繋がりました。




新型コロナ感染拡大後の好影響として

YouTubeやオンラインツールが広がり、

自分が住む地域から遠くの人との交流が当たり前になりました。



だからこそ、「どんな人と繋がるか」が大切だと思うのです。




どんな人で
どんな価値観で
どんなことを共有できるか





「繋がりたい人」を選ぶ時代となった今としては、

「繋がりたい」と思ってもらえる人であることが大切で、



自分も発信者として、専門家として、
そうありたいと思っています。




NPO食べる力・円は小さな活動団体ですが、


小さいからこそ垣根が低く、
つながりやすいのではないかと思います。




食べる力を高めるまちづくりを目指して。


一人一人が食べる力を意識するだけで大きな力になる。

一人一人が食べる力を知ることで、それは、まちづくりの大きな力になる。




詳しくはこちらのホームぺージも
ぜひ覗いてみてください(^^)



peraichi.com




介護施設等にも嚥下相談訪問に伺っています。


食事形態について、食事の注意点や工夫点について、外部の専門職に相談すること、そういった形で連携できます。


ご利用ください(^^)

目先の利益に走らされるな

【第103回】

目先の利益に走らされるな

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いつもこのブログに訪問くださり
ありがとうございます。




最近私の心に
すごく響いているメッセージ、




『短期で見るな、長期で見よ』




について、
今日は綴りたいと思います。




今の慌ただしい世の中において、
すぐ結果を求めることが

当然のように振舞われています。




「それで、上手くいったんですか?」
「それで、儲かったんですか?」
「それで、結果はどうですか?」




テレビを見ていても、
キャスター達からこのような発言がよく聞かれます。



限られた放送枠で、
チャンネルを変えられないために、


よりキャッチ―な内容にすることを
余儀なくされることはわかりますが、


本来、短期間に結果が出るものって、
そう多くはないものです。




短期間で結果がでても、

長期間で見た方が
より良い結果が判明したり、


物事はじっくり見た方が
全体をよく捉えられるもの

なんですよね。




でも、どうしても
今は長期よりも短期で見る人が多い。



それは、
会話をしていてもわかります。




「で、良かったの?悪かったの?」
「結論は?」




すぐに結論、結果の短期を求め、


会話の中から考え、導き出し、

感想や意見を言うことを
遠ざけてしまう・・・




そこに「思考」が入っていないので、

十分な対話がなされないことが
多いんですよね。





リハビリ職においても、

この「短期を見て長期で見れない現象」は
あてはまると思います。




急性期や回復期病院での
就職希望が集まり、


維持期や終末期を希望する人は少ない。




目先のわかりやすさを
捉えることができても、


長期的に全体を総括して
包括的に捉えることができない。



ましてやそこに、


「面白み」や「やりがい」を感じることは到底遠く及ばない・・・



これ、
結構当てはまるのではないでしょうか。





私が言いたいことは、
それでは勿体ないなぁということ。




別の言い方をすると
「具体」と「抽象」と表現できます。




具体レベルでしか
物事を捉えられない人は

抽象レベルでは物事を捉えられない。




これでは非常に見方が狭く、

気づける範囲が限定され

大事なところを見落としてしまうことがあります。




具体レベルを求める人にとって
抽象レベルの話をする人は、



いつも言っていることがわからない
早く結論を言ってよ、


ということになりますが、



抽象レベルにこそ、

解決策につながる重要なヒントが
隠されています。





自分の分野のお話をさせてもらいますと、


維持期(生活期)のリハビリは
おもしろいものです。



人は加齢により
時間の経過とともに変化する、


ことを前提にしたうえで
プログラムを組み立てると


短期で見たときとは
全く異なるプログラムになります。




置く視点が違うから、
そのようになるんですね。



短期で見ず、長期で見た方が


柔軟性があり、幅があって
断然おもしろいんです。



それは、
ゴールを遠くに設定しているから。
 

その間に取り組める
いくつものステップを用意できるから。



とても取り組みがいのあるもの
なんですよね。

(性格的な向き不向きもあるとは思いますが)





短期でみてすぐに結果を求めることは、

言い換えると


「目先の利益に走らされる」とも言えます。





キャッチ―なわかりやすさに
振り回されるな。


目先の利益に走らされるな。




長期的な目線で見られる人の方が、
ドシッと安定しているものです。



短期的な見方をしているひとは、

どこか移ろい易く、
まわりに振り回されやすく思います。




心の安定のためにも。



目先の利益に走らされないことが
必要です。



今の時代、
情報の取り方もテレビの情報を鵜呑みにし、

テレビからしか情報を得ていない人は


簡単に情報を取って
満足してしまっている

目先の利益に走らされている人です。




これだけ情報が
得られやすくなっている時代。

テレビ等でだれもが簡単に得られる情報を持っていても、


それが価値にはなりません。
ましてやその情報が真実とは限らない。



自分で情報を取りにいって、
デジタルツールや頭や

SNS等での
人とのつながりやすさを駆使して


生の情報を掴んでいく。




これらの行動は、
誰もが手に入る情報を鵜呑みにせず


立派に
目先の利益に走らされていない人です。




短期的に見たら大変な行動でも、

長期的に見たら
その努力は大きな差になってきます。




そこで初めて


「教養」と呼べるものに
近づいてくるのではないでしょうか。



目先の利益に走らされない。




これは、あらゆる事柄にあてはめて
考えられそうです。



皆さんの思考と行動のヒントになれば、
と願います。




「短期で見るな、長期で見よ」

お仕事を依頼されるということは

【第102回】

お仕事を依頼されるということは

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いつもこのブログに訪問くださり、
ありがとうございます。



今日のテーマは、
「お仕事を依頼されるということは」




組織に所属していても、
独立してフリーランスであっても、



「お仕事を依頼される」構造は
いたってシンプルなものです。



それは、

「この人に頼みたいと思えるか」


そして、


「この人なら期待通りに仕事をしてくれるか」

ということ。




他部署からの依頼でも、

直属の上司からの依頼でも、

組織外からの依頼でも、




お仕事を依頼する側は、


この「この人に頼みたいと思えるか」と
「この人なら期待通りに仕事をしてくれるか」



を、無意識に意識し、
これらの条件に当てはまる人に

相談、依頼しているものです。



上司が仕事をふる場合でも
「この人なら期限以内に一定基準でクリアしたものに仕上げてくれるだろう。」



その基準で選択しています。




さて、そんな時、
みなさんは何を感じますか?



そしてどんな準備をしますか?




京セラ創業者 稲盛和夫さんは、

著書 京セラ経営哲学の『京セラフィロソフィ』の中で、


仕事を頼まれたらその期待値を超えろ、と
書かれています。





相手の期待値を超える。



求められている仕事の期待値は
どの程度かを考え、見極める。




そのために、お仕事を依頼した側の
気持ちを考えることが大切です。



「何を求められているのか」




そこを考えないと、相手の求めているものとは
ちぐはぐになってしまいます。




私は、講演の依頼があった時、


主催者がどんな講演会を目指しているのか、

参加者にどうなってもらいたいのか、

主催者として話してほしいテーマはなにか、




必ず明確に聞くようにしています。




しっかり言語化し、共通理解にしないと

必ずずれてしまうから。



これはとても大切な作業です。




相手の求めていることも正確に捉えないまま、

依頼された仕事に取り掛かると、

最初から検討違いにずれてしまっていたり、

ゴールも曖昧になってしまいます。




それだと時間も消耗し、
自分の自信に響いたり、相手からのスキルの評価にも影響してきます。




お仕事を依頼した側の期待を超えるには、



まず、相手が
「なぜ自分に依頼し、何を求めているのか」


そこをしっかりと精査する。


初めにしっかりと聞き、自分でもよく考えること。



そこが着実に相手の期待に応えるポイントとなります。






その上で、
相手が求めているレベルの
ほんのちょっとを超える工夫をする。



そのほんのちょっとの工夫とは、

速さなのか、正確さなのか、おもしろさなのか、
案の種類の多さなのか、

はわかりませんが、



これが、「お仕事を依頼してくれた」人を

期待値以上に喜ばせる結果となります。





お仕事を依頼された時、
果たして自分に出来るものなのかドキドキしますよね。




でもそこは、

お仕事を頼んだ側が、
「この人なら期待値を満たした仕事をしてくれるだろう」と、



選び、選ばれたということ。




守るべきことを守れば、


あとは堂々と

「仕事を依頼されたことを喜んで」



その仕事に向き合っていけると良いと思います。



なぜなら「この人なら」と、
選ばれたということですから。




変に恐れることなく、
プレッシャーを感じすぎることなく、


何を求められているかをすり合わせる。



お仕事を依頼した側も、依頼された側も
気持ちよく過ごすことができるポイントだと思います。





お仕事を依頼された、ということは
あなたは選ばれたということ。



そして、相手の求めていることに
応えることができると評価されているということ。



そこはぜひ自信をもってください。

やりたいことと、そうではないこと。

【第101回】

やりたいことと、そうではないこと。


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いつもこのブログに訪問いただき、
ありがとうございます。




「やりたいことを仕事にする」




何年か前からこの言葉があちこちで飛び交い、
聞かれるようになりました。




「やりたいことを仕事にする」



私はあまりこの言葉、しっくりきません。




やりたいことを仕事にすることで、

モチベーションを維持できたり
良いことはたくさんあるでしょう。




ですが、
自分の「やりたいこと」である以前に、


「人」に、「社会」に、
必要とされていることなのか、




が、何より大切なことです。



必要としている人がいて、
喜ばれることであれば


それは自動的に「仕事」になります。




「やりたいこと」が先行しすぎていて、
市場を無視してしまっている人は結構います。


だから、「やりたいこと」を
仕事しなければならない、に縛られる必要はないのだと思います。






そもそも仕事とは、


「やりたいこと」と「やりたくないこと」の
2つに分けられるものではない





「やりたいこと」ではないけれど、
好きな仕事の場合もあるし、


「やりたいこと」ではないけれど、
嫌いな仕事じゃない場合もあるし、


「やりたいこと」ではないけれど、
どちらかというと得意な仕事という場合もあります。




そもそもが

やりたいか、やりたくないかの二元論で
どちらかに線引きできるものではないんですよね。




「やりたいこと」を仕事にすることが良しとされる、


でも、そこには
善か悪かのような極端な二元論しかない。


それはちょっと無理がある。


最近の風潮を
変に意識しなくても良いのだと思います。





最近、言語聴覚士さん限定アンケート調査

こんなおもしろい視点の企画がありました。





言語聴覚士限定】
売り手市場のSTは好きな仕事をやれているのかアンケート

1post.jp






私もアンケートを回答したのですが、


この結果はなかなかおもしろい、
考えさせられるものでした。



と同時に、

これから目指そうとする人や

今、目指している学生さんが見たら
どのように感じるか、

ちょっと心配になりました。





アンケート結果からは、

「やりたいことをやらせてもらっていない」と感じている人が
多い結果となりましたが、




「やりたい仕事」ではなくても、

そこではとても必要な仕事で、
求められていることであることも多いものです。



私たち言語聴覚士のお仕事だと、
「嚥下障害の治療」が当てはまります。




言語聴覚士のお仕事分野の中でも、
超高齢社会の今、ものすごい勢いでそのニーズは高まっています。



でも、本来、小児分野であったり
聴覚分野が志望で言語聴覚士になった人にとっては、


就職先が限られ、思った場所に就職できず
働いた先では自分の本来志望していたお仕事と違う、

そんなことが起こっています。





問題は、どう折り合いをつけられるか。




自分の職業において、
世の中に求められていることは大切な仕事。


自分の職業において、
今は出来ていないけど「やりたいと思っている」ことは、


対象者が少なく、マイノリティであるけれど、
その対象の世界ではとても大切な仕事です。



世の中には、
最初はお仕事にならなかったけど、

続けていくうちに仕事になっていったというケースがあります。




本当にやりたいことで、たとえニッチな世界でも
それを求めている人がいるならば


初めはボランティアでもなんでも

とにかく向き合える場所を設けることが
大切です。




そこからボランティアだったものが
気づけば本業になっていく、

進みたい分野につながっていく



そんなことも多いものです。




この方が「やりたいこと」が出来ない、
で悩んでいるより、よっぽど不毛な時間を過ごさなくて済みます。






また、私はフリーランス言語聴覚士として
活動していますが、



フリーランスの立場になって約4年、

これまでフリーランスで働きたい、
全国のたくさんのSTの方から相談を受けました。



私は、フリーランスの立場にならなければ
出来ないことがあったから、フリーランスになることを選びました。



要は、やりたいことのために
フリーランスになるしかなかったから。




目標と、目的が明確であったため、

フリーランスになってから色んなことがあっても、

フリーランスになって良かったと、満足しています。



でも、これは私の場合。




当たりまえだけど、たくさんの価値観がある。



はっきり言います。



フリーランスにならなければ出来ない、
やりたいことが決まっているならばフリーランスになってもいいと思います。




でも、フリーランスとは、
文字通り「一人になること」



それは想像以上に過酷で孤独なものです。



その立場になって初めて
組織で守ってもらっていたことのありがたさを
痛切に感じます。



フリーランスの立場ではなくても出来そうなこと
であるならば、それは無理にフリーランスになるべきではありません。



目標と目的がしっかりしていないまま、
飛び出してしまうと、続きません。


情熱が続かなければ、継続は難しい。



最初の動機となる「思い」と、
現在の「思い」がぶれていたら

信念がないとなかなか続けられません。



フリーランスになるということは、
裸一貫である以上、戦いの連続です。




そして起業すること、
株式会社、合同会社などの形態など


一般の医療職では決して勉強しない

一通りのビジネスに関する勉強に
しっかりと飛び込み、自らどんどん学んでいく。



一人でやろうとせず、
異業種の仲間をどんどん作っていく。



この姿勢が大切である、
続けられるためのポイントだと思います。






「やりたいこと」と、「やりたくないこと」
の二元論ではなく、



「やりたいこと」と、「そうではないこと」
くらいの意識で



はっきり線引きしない、曖昧さの方が

しんどくならずに丁度良い塩梅なのかもしれません。




やりたい仕事じゃなければ仕事じゃない、
そんな価値観に縛られることなく、


ほどよいバランスで
自分からやりたいことに繋がる
きっかけを掴んでいく。


一度ついた火が燃え続けられるように、
ベースとなる思いの土台をしっかり築いておく。



これらが長期的に、
自分のやりたい仕事に向き合い、継続できる秘訣ではないかと思います。




皆さんはいかがですか?


どちらか一つで考えない。

見方は狭めなくっていい。


そこが大切であると感じています。