フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

言語聴覚士になろうとしてる人に届けたい

【第106回】

言語聴覚士になろうとしてる人に届けたい


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いつもこのブログに訪問下さり
ありがとうございます。


今回は言語聴覚士を目指そうとしている人向けに
記事を書きたいと思います。



というのも、最近Twitter等で
養成校に行くか行かないか悩んでいる、


養成校に行った先で、どの方向性に行けばいいか
思い悩んでいるなどの声をリアルにお聞きするから。




とはいっても、何から書けばいいか
考えれば考えるほど悩んでしまうので、



過去ブログにも触れているとは思うのですが、

改めまして

私が言語聴覚士に進路を決めた成り行きと、
就職先を選んだ経緯等触れていきます。



さて、遡ること
高校二年生の進路選択時期。


子どもの頃からボランティアや福祉関係に
なんとなく興味を持っていました。


当時の自分の言葉で言うと、
「人のためになるような仕事がしたい」



恐らくこれは、

医療職のような直接人に関わり

「ありがとう」が伝わりやすい仕事を指していたのだと思います。



そこで初めに選んだものが、養護教諭
いわゆる保健室の先生ですね。


とてもなりたかったのですが、
その競争率の高さに現実面で諦めました。



さて、似たような業界で何かないものかと探したところ、

職業紹介の専門誌で視能訓練士を発見。


「なにこれ、こんなお仕事あるの?超マニアックでかっこいい!!」
(当時の言葉そのままに)


当時、珍しいお仕事に心惹かれるそんなお年頃でしたので、
特殊な職業に強烈にひかれていました。


そして、その専門誌の次のページをめくると、
言語聴覚士」の紹介ページが。


忘れもしない、あの衝撃!!!

「なに、このかっこいいお仕事!!!!」



仕事内容も全くよくわからないままに、

「言語」「聴覚」

その言葉から発する専門的なイメージに
なんの根拠もなく、

「この仕事につきたい!」と進路を決定しました。



そこから北海道で数限りある養成校を見つけ

平均評定をギリギリ上げ、
なんとか推薦枠で滑り込み3年過程の養成校に入学。


その間、学費等の関係で
親に反対されて猛烈に説得して


どんな職業かもはっきりと掴めていないままに
憧れたまま走った高校3年生。


まさに猪突猛進。
こんな進路決定のエピソードにただただ自分でも
驚くばかりです。


それで本日まで続いているなんて不思議ですね。


高校3年生で祖父が重度嚥下障害になり、
胃ろうの選択を迫られ、

母の深く悩み続ける姿を間近で見ていたことは
今の嚥下障害予防の活動の原点ではあるのですが、


当時は嚥下障害治療が
言語聴覚士の職域の範囲とはつゆしらず。


ただただ「言葉」に関わるお仕事をしたい、と
青臭く思っていました。
(昔から本を読んだり、国語の授業が好きでした。何ならポエムとかも・・・)



この時点では就職先なんて
全く想定にありませんでした。


地元で言語聴覚士さんが働いている病院を耳にしたり、

実際に見学に行ったことがあったので


なんとなく地元の病院で働けるのかも?と
漠然と捉えていたのですが、



どこでどんな風に働けて
どんなお仕事になるのか


わからなかったからこそ、大きく迷うことなく
学生生活を送ることができたのかと思います。




実際に就職先を考え始めたのは

私の場合、実習期間の頃。



それまでクラスメイトの中でも

就職先の話をする機会は少なく、



多くの友人もはっきりと描いていなかったように思います。



そこから臨床実習が始まり、

「STとして働く姿」がリアルに浮かぶようになった頃。



クラスの中でも実習先で就職したい、
または実習先に声かけられている人が

ちらほらと出てきました。



そこから意識する
どこで、どんな臨床家になるか、ということ。



私の場合、もともと小児や聴覚系の希望はなく、


殆どの学生と同じ、成人希望で養成校に入学、
実習選択をしていたので、



「成人」でどこかで「失語症」「嚥下障害」
が見れる場所に就職したい、


かなり大きくとらえていました。



地域は北海道内で地元に帰省しやすい距離であれば
どこの地域に就職してもよかったのですが、



過去ブログの通り、
実習が思ったようにできなかった思いを抱えていたので、


その実習地がある地域を就職したい地域として選びました。





私の場合、2カ所目の実習先に働けたらなぁと思っていたのですが、
募集枠の制限などもあり



就職先が決まらないまま
国家試験時期に突入。



その間も求人票は見ていたのですが、

地域を限定したことで求人は少なく、
数少ない求人の中で病院関係はその枠が着々と埋まっていき、


1つだけ残っていた求人票を国家試験の勉強中も
繰り返し繰り返し見ていたことを覚えています。



その場所は介護保険分野の施設で

思い返せば、当時養成校では
ほとんど介護保険について学習する機会がなく、

全く未知の領域であった介護保険分野。



友人には、「初めは病院勤務がいいんじゃない?」と言われたけれど、

担任の先生には、「老健で勤めたらその対象領域が広いから、どこでも働けるようになる。
一人職場じゃないし、大丈夫だよ。」



と言われ、安心したことを思い出します。



なんとなく、「病院」で働くイメージを持ち切れなかった私が、

なんとなく気になっていた「生活期」と「訪問リハビリ」


そして、身体機能を見れる言語聴覚士になりたい、ということ。




その全てが叶い、自分にはハマり、

今のフリーランスになってからの活動のベースに
介護保険分野がなっているのが驚きです。




そのまま就職活動できずに試験当日をむかえ、

自己採点合格点ギリギリで合否判定まで
就職試験を受けられず、



合格発表の日にその足で流れに身を任せたまま、
前述の介護施設に面接に行き、


当日のうちに採用が決まり、

翌日には入社式を受けたこと。



用意されていたかのようなタイミングで、

就職できたことはただただホッとしました。




そこからのめり込むように10年勤務し
今に至るのですが、


就職先については
学生時代から良い意味でおおらかに考えていました。



それというのも、現在と同様で就職先の募集数に関しては
成人領域は十分にあり、


かつ教員から
「リハビリセラピストは転職してスキルアップをするのが当たり前」
という風潮を聞いていたからです。



ひと昔前の働き方の捉え方ではなく、

「転職する人が多い業界」と聞いていたことで

比較的楽に考えられていたと思います。



だから、初就職の場所も気負いしきらずに選ぶことができた。



結局、どこで働くか考えに考えても、

実際にその職場が合うか、合わないかはわからない。




働く場所に拘ることも大事だけれど、

働いた場所で、どう働くか、考えて行動することの方が

大切だと振り返って思います。




学生時代に、教員から

言語聴覚士の就職状況のリアルや

待遇、地域差なども聞ける範囲で聞けていたことは
とても大きなことでした。



その意味で、養成校には
専門領域の学習以外にも、就職前後の情報を
学生の立場で伝えるコミュニケーションを

濃密にもってもらえたら臨床にでる前後の悩みが減るのではと思います。




最後にこのブログを通して伝えたいことは、



数ある職業の中から、この職業を選んでくれてありがとう
ということ。



世の中に数多ある職業の中から、
言語聴覚士を選んでくれる、って実はとてもすごいことなんです。


自分の大事にしている職業を目指そうとしている人が
このブログを読んでくれていたら、こんなにうれしいことはありません。



労働人口の減る中、消えていく職業もこれから続々とでてきます。


言語聴覚士は、困っている人がいて
成り手がいれば、職業としてはなくなりません。


言語聴覚士を選択肢の一つとしてでも
あげてくれていることに敬意をこめて。


素晴らしい選択ができることを祈ります。