【食べる】に秘められた行為の謎について
【第64回】
兼ねてから、自身の「食」との向きあい方について、
疑問を持ち続けていた。
「そういうことだったのか!」
ストンと落ちる名答があったので、紹介したい。
この「食という行為にストレスをぶつけやすいもの」
という表現でなるほどなぁ~と感心した。
長年にわたる胸のモヤモヤが若干はれた感じがする。
この対局にあるものは、
「食という行為に丁寧に向き合うこと」であろうか。
自身の食行動の中で、いつも疑問に思うこと。
「食行動」の中で明らかに2種類がある事実。
「作る行為も含め、食を味わう手料理」
を過ごせるときと、
「食欲」に任せ、「食べたいもの」を自分に取り入れようとするとき。
いわゆるコンビニなどの買い食い等がこれにあたる。
冷静な心理としては、
それはもう、いつだって自分を大切にしたいし、
自分の体と向き合っていたい。
手料理で旬のものを取り入れながら満足したい。
でも、いつもこうではないのだ。
「食行動におけるジレンマ」が起こる。
脳が欲するとき、
それが朝井リョウ氏の表現にあたるのではないかと思う。
「食べるという行為でストレスをぶつける」
本当は、非健全的。
でも、ひどく人間的。
近年気づいたこと。
自分にとって、このバランスが大事で、
どれだけ丁寧に食に向き合いたくても、
衝動的に「食べるという行為でストレスをぶつける」ことを
したいときもあること。
過食とまではいかなくても、
やっぱり理性を振り切って欲を満たすことは、
脳は快楽=ストレス回避、防御反応なんだと思う。
食行動という行為一つとっても、
実に興味深い。
「食」に向き合う専門家としては、
食欲は気分によって思っている以上に左右されていること。
食行動に至るまでの
活動、行動、思想、意欲、気分・・・
影響する事柄は多角的にあることを心得たい。