がんばる病にかからないために。
がんばる病 (頑張る病)
私が過去にその状態にあり、
かつ現在も油断すると陥るかもしれない、
と危機感をもっているので、敢えて名前をつけました。
がんばる病
それはなにか?
『がんばる病 (頑張る病) 定義
とにかく自分が頑張れば上手くいく、頑張らなければ意味がない・価値がない、頑張っている自分が好き、という状態に陥っている/錯覚しているさま』
と、定義しています。
思い当たる人いませんか?
結構ね、女性にありがちだと思うんです。
特に、社会的に自立している女性、自立思考の高い女性に多いかと思います。
〈がんばる病 事例〉
かつての私の話。
がんばる自分に価値を置いていました。
日常の細々した仕事を請け負い(自分がやる義務があると思っていた)
朝早く出勤し、休日には遠方で研修を自費で参加、
お弁当は手作り弁当、定時で帰らないがステータス。
「忙しい」「疲れている」が自然と口に出て、自分の「頑張り」に自分で評価をつけて、自分の価値基準を頑張ることに定めていました。
頑張っていることが、モチベーションキープの要であるので、頑張らない自分なんて自分と認めない。
「頑張らないこと」なんて、自分の辞書の中にはなかったんですね。
自分の休息時間や、家族や友人との貴重な時間は優先順位の上位ではなく、
自己評価、自己満足型の人間でした。
そうなると、自分に対するストイックな価値基準を周りにも求めるので、
当然そのジャッジは厳しく、「頑張らない」ように見える人は、認めない、そんな状態に陥っていました。
こんな人、嫌でしょう?(笑)
周りにいたら、息がつまるのでは、と今なら思います。
随分キツい顔してたことでしょう。
なぜ、その状態がおかしいと気づけて、
なぜ、今は客観的に見れるようになったのか。
それは、限界がきたから。
やみくもに動くことには、タイム制限があるようで、
とにかく「頑張る」ことを自分に課し続けていると、突如「頑張れなくなる」瞬間がやってきます。
頑張り続けたのに、頑張れなくなる。
まさに、自分の価値基準が崩壊した瞬間です。
自分のことを認めてあげられない。こんな瞬間あるんですね。
それから、
「頑張れない」から、「頑張らない」
退職し、自分の歩みを止めてみた結果、自分で狭めていた世界が急激に広がって、開放的になっていくことを感じました。
「頑張る」は、「かたくなに」「張る」と書きます。
人間、頑なに張り続けるようになんて、出来てないんですね。
いつか必ず限界がくる。
決して怠けるというのではなく、柔軟に過ごせる余裕をいつもつくれていればいいと思うんですね。
「頑張る」の書き方を、斎藤一人さんは、「顔晴る」と書きます。
無意識の気難しい顔をせず、
自分自身の価値基準を相手に押し付けるなんて、窮屈なことをしないで、
ただ、ただ、目の前の人を笑顔にする、喜ばせるようなことをする、
それが「顔晴る」状態だと解釈しています。
この「顔晴る」なら続けられる。
あくまで「頑張る」は短期間的なもの。
同じがんばる病なら、ぜひ前者にしましょう。
「がんばる病」と距離をつくることが、今の自分自身のゆとりであり、そこから魅力はつくれていると思っています。
みなさん、「がんばる病」かかっていませんか?