はしっ子、本に挑戦する。
先日、作文講座なるものに、参加してきました。
講師は、札幌の作文教室ゆうにて、社会人から学生まで、文章力アップの教室、講師をされている藤本 研一先生です。
書き方講座でキャリアアップ!社員研修なら札幌駅前作文教室ゆう | 文章アドバイザーが教える、メール・ビジネス文書の書き方の裏技
こちらの先生、早稲田大学出身だそうで、ワタクシ人生において、初めて早稲田大学卒の方とお会いしました(笑)
ちなみに東大卒の方も会ったこありません。(はしっ子は、専門学校卒)
ブログを初めて、気づいたこと。
私は、文章は書けるといえば書けるけど、長文が書けない!
なんだか文章が非常にあっさりとしている!いや、あっさりしすぎている!
厳密にいうと、書く言葉がでてこない、といいますか・・・。
(この状態で、ブログタイトルを「本に挑戦」にしてしまうところが恐ろしい・・・。)
この文章講座にて、この素直な気持ちを述べさせていただきました。
そこで講師の先生、納得の一言。
「やわらかい文章しか書けない人は、やわらかい文章を読むことに慣れているから。」
「読んだことのある文章校正でなければ、書くことはできない。」
な・る・ほ・ど~!!!
うーーーーん、納得です。
私は、本が大好きで、自分のレベルよりも少し高めの本なども読むようにしていますが、それは、内容は理解できていたとしても、流し読みなんですね。
要するに、文章校正には触れていないということ。
講座を受講して、まだ整理しきれていないところもあるので、今回は、ふわふわした文章で誠にごめんなさいですが、
書くことも、要は修行です。
書けば書くほど、「相手を動かす」文章が書けるようになる・・・らしい!
講座を受講したことで、ますます本が書きたくなりました。
「本が書きたい」
どんな本かと申しますと、小学生から高校生まで、介護職を目指したくなるような介護の本です。
どんな風に読んでほしいか、
どんな風にこの本を活用してほしいか、
どんなアクションを起こしてほしいか、
高望みは重々承知しているものの、やってみたい気持ちの火種は消えないのです。
書けなくても、書く!書きながら成長する!!
ということで、年内に本の目次、校正をまとめて、いざ出版社へ!!
ということを、今年の仕事の締めにしたいと思います。
ね?夢はおっきいでしょ??(笑)
一応、送り先のアポはとっているので、そこまでぶっこみではないですが。
改めて思うことは、
書くことも、話すことも、
「相手があって」のこと。
読んでくれる人がいて、聞いてくれる人がいて、その貴重なお時間を頂戴している。
お金やものは返すことができても、時間だけは返すことができない。時間を奪うことは、いわば重罪です。(重いですね)
相手の存在を無視して、自己を押し付けてしまっては、関係性が成り立ちません。
それは、一見コミュニケーションが成立しているように見えて、我の押し付け合いです。
言語聴覚士という仕事で、言葉を伝えられない方たちとお会いします。
伝えられない方たちの、なんとコミュニケーション力の高いことか。
それは、「口からの言葉」の情報が乏しいからこそ、目で、手で、体で、空気で、懸命に伝えようとされる。
伝えようとする力が、最後は勝つと思います。
残念ながら、コミュニケーションアイテムの進化によって、
私たちのコミュニケーション技術が退化していると感じざるを得ないのは、
言葉を失いかけている方をみていて、そのコミュニケーションの価値の高さを感じるからです。
現代の人が、「コミュ障」といわれる所以はここにあると思います。
それでも、
多くの人がいるなかで、それぞれのコミュニケーションスキルは
物事の見方、とらえ方で前提条件が異なるため、
どうしてもわかりあえない、納得のいかないこともあります。
折り合いがつかない、にっちもさっちもいかないこと、あると思います。
それぞれが「正義」になっていたら、最終的には、喧嘩別れしてしまいそうです。
大人だからこそ、狭い世の中だからこそ、それは避けたいもの。
そんな時は、一歩引いて、客観的にみて、話の落としどころをつけたいところ。
もちろん、お互いに不利益を被らないように。
話の落としどころを模索する、
スルーするスキルも、
お互いの関係性を修復不可能まで壊さないために、必要なコミュニケーションスキルだと思います。
生きているからには、人と関わる。
話すでも、書くでも、読むでも、聞くでも、裏側に人の存在を感じられないものはありません。
表現することで、コミュニケーションスキルを磨いて磨いていかないと、
私たちの伝える技術、受け取る技術は衰えかねません。
ということで、
伝えることにこだわる言語聴覚士として、
自身のもつコミュニケーションスキルを総動員して、執筆活動?に勤しみたいと思います。
現代人だからこそ、アナログの、人としての伝える手段はいくつももっていきたいですね。