フリーランス言語聴覚士はしっ子の weekly magazine

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~

あの日を忘れない

【第76回】

あの日を忘れない 


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♯3.11
東日本大震災
♯あの日から9年





毎年、この日には
何かしら発信の記録を残すようにしていて、


昨年のFB投稿を思い出した時、



やはり今日と同じく


「あの日を忘れられるわけがない」



ということだった。






忘れもしない、就職2年目
ベッドサイドでのリハビリ中、


まるで巨大な円を描くような
ゆっくりと地面がまわる揺れ方。



「なんだこの地震?」



それから、30分もしないうちに
同僚と絶句しながら東北の中継テレビを見ていた。



津波に逃げる車、それを画面超しに見ている自分。



それがひどく非現実的で、
強烈な違和感をもったことを覚えている。




夜には福島第一原発が燃え盛る映像。


次の日のリハビリでは、
患者様と「大変なことになったね」と、


現実と、現実を信じたくない気持ちを誰もが行ったりきたりしていた。




あの不思議な感覚。




遠くない町で起こった自然災害の惨劇。



テレビでしか伝わらない情報に、
「私はここでこうしていて許されるのか?」


そんな疑問が頭を駆け巡った。





「がんばろう日本!」

「絆」




そんな言葉で安心できるはずもなく、
必ずいつかこの土地を訪れたい、と思った。





それから5年、仕事が一区切りした段階で、
一人で訪れた、東松島市陸前高田市南三陸町




現地の人達とのお話にリアルを感じ、
東北独特の地形に驚きを隠せず、





そして一番の衝撃は


そこにはまだ何もなかったこと、だった。





人間の力で、災害対策となる工事は着々と進められているけれど、

この圧倒的な自然を前に、どれだけの機能を果たせるのか。





震災から5年経った、その地の海を見たとき、
その静けさに、こわさを感じた。





そして、

戦わない、受け入れる




自然との付き合い方はこの形ではないか、

自分の中のあの日の疑問が少しわかった気がした。






やはり
まだ何も終わっていないと思う。




あの日から
確かに誰もが傷ついている。





だからこそ、その土地の人々の声、

あの日から影響を受けた様々な立場の人の思いを


努めて聞くようにしている。





過ぎたこと、終わったこと
にメディアがしていないだろうか、と思う。



震災前後にしか報道がされない、
その後の人々、土地の姿が報じられない。



だからこそ、自分で知ろうとし続けなければならない。




東北の震災以外にも、起こった各地の災害に
慣れてはいけない、


知ろうとすることが、何よりも
未来にできる対策と、現地への支援となる、と思っている。




忘れてはいけないことは、
私たちは望んでこの日本という土地に住んでいるということ。




その時点で自然現象を受け入れているということになる。




忘れない、いや忘れられるわけがない。





自然を前にして、

いつ奪われるのかわからない有限の時間を


他人軸に振り回されて時間を失うわけにはいかない。



主体的な時間の選択を。

それが、今を生きるということだと思う。